中国語 前鼻音(-n [n] )&后鼻音(-ng [ŋ])【PART1/2】日本語話者には両方「ん」に聞こえる理由

中国文化・歴史中国語実践者

 こんにちは!中国語漫画翻訳者のもりゆりえです。「中国語は発音が特に重要な言語だ」という話は、中国語を学習中であればよく耳にすると思います。しかし例えば「办(bàn/する)」と「帮(bāng/手伝う)」を聞いた際、「どっちも同じ“バン”に聞こえる…」という感想を抱いたことはありませんか?中国語ネイティブの友人によれば、両者は全く違う音に聞こえると言います。

 今回は中国語の前鼻音(-n)/后鼻音(-ng)と、日本語の撥音(「ん」)の音の違いを詳しく見ていくために、記事を前編に分けてお届けします。なお、記事の中で中国語の前鼻音/后鼻音と、日本語の「ん」の音を比較する手段として、IPA(International Phonetic Alphabet: 国際発音記号)を用いたいと思います。

 今回の前編では、中国語と日本語の特徴を整理した後、中日の音声史を通じて中国語の前鼻音と后鼻音、そして日本語の「ん」がどのように誕生したかを見ていきます。

中国語と日本語の共通点:語末は基本的に母音で終わる

 まず日本語の特徴として、「語末は基本的に母音で終わり、子音が連続することは極めて限定的である」ことが挙げられます。例えば日本語母語話者が英語を話す際、子音で終わる語末に母音を挿入するケース(例:「cut [ˈkʌt]」の語末の子音「t」に、母音「o」を挿入し「カット(katto)」と発音する等)や、子音と子音の間に母音を挿入するケース(例:emerald /ˈɛmərəld/ を「エメラルド(emerarudo)」と発音する等)が多く見受けられるようです。

 このように「基本的に語末が母音で終わる」ことが特徴である日本語の中で、「ん」は数少ない「語末に来る子音」だと言われています。五十音のひらがなの表に「ん」から始まる他の音がないことや、「しりとりでは最後の音が“ん”になったら負け(=“ん”で始まる単語が標準日本語にはない)」のルールからも、そのことが分かりますね。

 この「基本的に語末が母音で終わり、子音の連続は限定的」という特徴は、中国語も同様とされています。そのため、中国語母語話者が英語を話す際も、日本語母語話者が英語を話す際と同じく、子音と子音の間や子音で終わる語に母音を無意識に挿入してしまったり、逆に子音を全く読まない場合があると言います(参考URL:中国語ネイティブスピーカーが直面する英語の発音問題トップ6 | TALK Schools – Blog)。

 このように、誰しも「母語以外の言葉を話したり聞いたりする際は、母語の特徴の影響を受ける」ことを、まずは押さえておく必要があります。

日本語の「ん」は6種類ある?

 中国語を学習中の日本語母語話者の皆さんで、「中国語の前鼻音(-n[-n])も后鼻音(-ng[-ŋ])も、両方同じ“ん”に聞こえる!」と感じる方は多いと思います。ところがその日本語の「ん」自体、厳密には6種類の音があることをご存知でしょうか?以下の表が、日本語「ん」の異音6種類を表したものだと言われています。

<表は音声学の復習⑤撥音「ン」の発音~能力試験合格を目指そう – SenSee Mediaより(色枠は筆者作)>

 上記の表を見ると、後続音(「ん」の後に続く音)によって、「ん」の発音が6種類に分かれています。これは日本語話者が、「ん」の後に続く音に合わせて、無意識に音の異なる「ん」を使い分けているということを意味しています。

 表①~⑥の実際の単語の例としては、①転売(てい)②館内(かい)③完治(か)④損害(そい)⑤パン(ぱ/後続音なし)⑥真意(し)、親切(しつ)等が挙げられます。①~⑥の単語を舌の位置に注意しながら発音してみると、皆それぞれ舌の位置や音の響き方が違うことが分かります。

 さらに上の表に書かれたIPA([ ]中のアルファベットのような文字)と、下の「复韵母表」に書かれたピンインとIPAの対応を比べると、歯茎鼻音[-n]と軟口蓋鼻音[-ŋ]が共通していますね。ここから日本語母語話者が同じ音として認識する6種類の異音「ん」の中に、中国語の前鼻音「-n[-n]」と后鼻音「-ng[-ŋ]」が含まれていることが分かります。

<表はPinyinandIPA.pdf (csulb.edu)より(色枠は筆者作)>

 実際外国語母語話者(例:[-m]、[-n]、[-ŋ]が、全て違う音として認識される英語話者等)の中には、日本語の「ん」がそれぞれ違う音に聞こえるにも関わらず、同じ「ん」の文字が使われていることにとまどうケースもあるようです(参考:東外大言語モジュール|日本語|発音|実践編| 2 円滑なコミュニケーションのために 2.3.1 拍感覚(撥音-子音前) (tufs.ac.jp))。

やまとことばに「ん」が存在しなかった可能性も

 ところで、何故日本語の「ん」には、こんなに多用な音のバリエーションがあるのでしょうか?それを考えるには、以下の「いろはうた」がヒントになるようです。

いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす

色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見し 酔ひもせず

「いろはうた」は、10世紀末~11世紀半ばに作られたと言われる、47個全ての仮名文字を1回ずつ使って作られた誦文です。文字の手習いの歌として耳にした方も多いのではないでしょうか。この歌を見てみると「ん」が使われていないことが分かります。10世紀末~11世紀半ばと言えば、日本はちょうど平安時代にあたります。このことから、平安時代に話されていた「やまとことば」には「ん」が存在しなかった可能性があると言われているのです。

中国語中古音の流入が、日本語の「ん」誕生のきっかけに

 いろはうたが作られたとされる平安時代、仏教の伝来と共に中国から大量の中国語が入ってきました。当時の中国で話されていた中国語は、中国語音韻学では「中古音」に分類されます。南北朝時代後期~宋初頭にかけて使用されていたその言葉は、発音も現代の中国語とは大きく異なっていたようです。

 その大きな違いのひとつとして、現代標準中国語(普通话)では「-n[-n]」と「-ng[-ŋ]」の2種類である鼻音韻尾(文末に置かれる鼻から空気を抜いて出す音)が、中国語中古音では[-m]、[-n]、[-ŋ]の3種類存在したと言われています。

 この3種類の鼻音韻尾を持つ中国語中古音の流入が与えたやまとことばへの影響について、『日本語の発音はどう変わってきたか 「てふてふ」から「ちょうちょう」へ、音声史の旅』(釘貫 亨著/中公新書)では、以下のように記されています。

 子音で終わる音節がない日本語に子音で終わる漢字を取り入れる工夫は三内入声音で見たとおりであるが、古代語では、鼻子音で終わる漢字を韻尾として取り込んだ痕跡も認められる。

 三内鼻音とは、-ŋ喉内韻尾(「相、東」等)、-n舌内韻尾(「讃、信、文、銭」等)、-m唇内韻尾(「金、男、三」等)の三種類をいう。これら音節末の鼻音は、平安時代前半ころまでは発音し分けられていたらしい。これらは、「金[kim]」「三[sam]」/「信[sin]」「讃[san]」として自覚的に区別されていた。また、喉内鼻音-ŋも漢字原音に近づけて、英語のcoming,runningのingのように奥舌を口蓋に押しつけて発音していた。しかし、平安時代末期以後は、唇内音と舌内音が-n韻尾「ン」に合流し撥音として定着した。現在では「金(きん)」「信(しん)」「三(さん)」のように「ン」で表記されて、発音も区別がない。(後略)

『日本語の発音はどう変わってきたか 「てふてふ」から「ちょうちょう」へ、音声史の旅』

(釘貫 亨著/中公新書)第五章 漢字の音読みと音の歴史P179より

 日本語母語話者や中国語母語話者が英語を発音する際、母語の特徴の影響を大きく受けることは先程ご紹介しました。そしてそれは中国語中古音が入ってきたとされる平安時代においても同様で、当初は厳密に区別されていた3種類の鼻音が「やまとことば」話者にとって発音しやすい音に統合され、しだいに今日の日本語の撥音(「ん」)へと変化し、中国語においては「-n[-n]」と「-ng[-ŋ]」の2種類に統合されていったものと推察されます。

<画像は上古汉语是怎样发音的?来听上古汉语拟音版《封神榜》| 滔客说 (youtube.com)より。中国語中古音より古い「中国語上古音(周代~漢代頃に使用されていた中国語の音韻体系)」の音を時代劇風に再現したとされる場面(15:57頃~)。現代中国語とは全く違う音だと言うことが分かる>

日本の地名や人名等に残る、中国語中古音の面影

 音声史を見ると、中国語と日本語の音声がどのように変化し現在の音に至ったかがよく分かります。しかし現代日本語漢字音の中に、中国語中古音の面影が全くないかと言えばそうではありません。日本の地名や人名等をよく見ると、その影響が見て取れるものもあります。例えば以下のような例です。

-ŋ韻尾:相良(さがら)sagara →相siang(古韻)

-n韻尾:因幡(いなば)inaba→ 因 qjin(古韻)

-m韻尾:陰陽(おんみょう)onmyou→陰 qim(古韻)

 日本の地名や人名等には、独特な読み方をするものが少なくありません。その読み方の背景には中国語中古音の影響もあるようです。先にご紹介した『日本語の発音はどう変わってきたか 「てふてふ」から「ちょうちょう」へ、音声史の旅』(釘貫 亨著/中公新書)にもいくつか例が紹介されていますし、普段の生活で独特な読み方の漢字を見つけた際には、古い中国語の発音を調べることのできるサイト字表 – 韻典網 (ytenx.org))で調べてみるのも面白いかもしれません。

まとめ

 いかがでしたか?日本語の「ん」が、もともと中国語中古音の流入がきっかけとなって生まれた音と考えられていること、そして平安時代の日本語の韻尾鼻音が中国語中古音の特徴に応じ区別して発音されていたものの、徐々に今日の日本語の「ん」へ統合されたと推察できることをご紹介しました。

 この発音の変遷を踏まえ後編では、「現代中国語の前鼻音/后鼻音を、漢字を見て推察する方法」と、「前鼻音/后鼻音の発音のコツ」を、私自身の体験談も交えてご紹介します!

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もりゆりえ

広島県東広島市出身。尾道市立大学美術学科卒業。高校時代に読んだ漫画「封神演義」をきっかけに中国語学習を開始。大学卒業後中国に渡り、浙江大学に10ヵ月間の語学留学(2005年〜2006年)をする。留学中に、「第二届中国国際動漫画節」に参加。現在はフリーランスの中日漫画翻訳者として活動中。趣味は中国のマンガアプリでマンガを読むこと。

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