【中国・南京旅行記(2006年)】日本人留学生の私を、南京に導いた「3つのきっかけ」とは(前篇)
こんにちは!中国語漫画翻訳者のもりゆりえです。以前こちらの記事でもご紹介したように、私は日本で4年生大学を卒業後、中国の浙江省杭州市に10か月の語学留学をしました。中国に滞在中は、週末や連休を利用して杭州近辺の都市を中心に、あちこち旅行に行きました。
その中で最も私に強い印象を残し、日本人として多くのことを考えさせられたのは、江蘇省南京市への旅行でした。南京市はかつての中華民国の首都であり、日中戦争の際には大日本帝国の軍隊が、南京市の捕虜や民間人を大量に虐殺したとされる、いわゆる「南京大虐殺」が起こった場所です。
今回は記事を前後編に分け、前編としては、私が中国に留学中に南京市へ旅行に行くことになった3つのきっかけを、後編としては、実際に南京市を旅行した際のエピソードや、日本人として感じたことなどを、皆さんにご紹介します。
①地元広島で学んだ、戦争と原爆の悲惨さ
1945年8月6日午前8時15分、1発の原子爆弾が広島に投下されました。「リトル・ボーイ(Little Boy)」と呼ばれたその原子爆弾を搭載していたのは、「エノラ・ゲイ(Enola Gay)」というアメリカ空軍の爆撃機でした。
広島出身である私は、子どもの頃から学校の平和学習の一環として、戦争体験を聞いたり学んだりする機会が多くありました。被爆者の方から直接体験談を聞いたり、平和記念公園にある原爆ドームや、広島平和記念資料館へも何度も足を運んでいます。資料館に展示されていた、原爆投下時間である8時15分で止まった時計、原爆の熱線で溶けた弁当箱やボロボロの衣服、建物の柱に残された蒸発した人の影などは、子どもの頃の私に、強烈なインパクトを残しました。
<平和記念公園内にある、原爆ドーム>
また時折、祖父からも戦時中の話を聞くことがありました。祖父は直接原爆の被害は受けなかったものの、当時軍都であった広島県呉市で育ったため、戦時中の学校教育の話や戦後の街の変化など、様々な話を聞かせてくれました。親戚には戦艦大和の乗組員として亡くなった人もおり、祖父の母自身も、列車に乗っていた際にアメリカ軍の爆撃を受けて亡くなったといいます。
英語が話せた祖父は、戦後アメリカの進駐軍の通訳を務めたこともありました。彼はよく「イギリス人はわしの英語の発音をバカにするが、アメリカ人にそんなことをされたことはない。気のいい陽気な連中ばかりだ」と、冗談交じりに私に語っていました。
とは言え祖父の母が亡くなった経緯を思えば、アメリカに対する複雑な感情があったことは間違いないと思います。しかし少なくとも孫の私の前では、アメリカ人への憎しみの感情を現わしたことは、一度もありませんでした。
しかしそんな祖父も、原爆の話になるといつも厳しい表情になり、こう言っていました。
「戦争はあくまで兵隊同士が行うものだ。一般人を巻き込むのは国際法に反する戦争犯罪で、原爆投下は、その最たるものなんだよ。だが戦争は人間を変えてしまう。一度戦争が始まれば国際法なんて守れらなくなるんだ。だから絶対に戦争をしてはいけない。」
その後成長する過程で私は、日本と中国が歴史認識の相違で対立するニュースを、テレビなどでしばしば目にするようになりました。そのニュースを見る度に、祖父から受け取った「憎むのは戦争そのものであって、人間ではない」というメッセージが思い起こされ、いつしか私が中国や南京を意識するきっかけになったように思います。
②2005年に中国で起きた、大規模な反日デモ
私が中国留学に出発する直前の2005年4月に、中国で大規模な反日デモが起こりました。当時の日中をとりまく様々な出来事(小泉総理大臣(当時)の靖国神社参拝問題や、歴史教科書問題、竹島問題など)に端を発したデモでしたが、その一部が暴徒化し、現地の日本料理店や日系スーパーが襲われるなど大きな被害をもたらしました。
そのとき私がテレビで目にした、ひとりの中国人女性の涙は、今でもよく覚えています。彼女は日系スーパーの店員さんで、見る影もなく破壊された店を見て涙を流していました。その様子から、被害に傷ついているのは日本人だけでなく、現場で働く中国の人も少なくないのではと感じました。
しかしそのように傷ついている中国の人がいる一方、激しい反日デモの様子が連日放映された日本では、「中国に悪い印象を抱く日本人が増えている」という「街の声」がテレビで紹介され始めていました。
日中で民間レベルの交流がいくら進んでも、歴史認識の相違が原因で国同士の関係が簡単に悪化してしまうことを、当時のニュースを見てひしひしと感じました。実際に私の両親も、私が数か月後に中国へ留学に行くのを心配していました。
しかし私自身はそれで留学を取りやめようとは思わず、「やっぱり自分の目で中国をしっかり見てみたい」と決意を新たにするきっかけになっていました。
③中国の大学の食堂で出会った阿姨(おばさん)
中国に留学して2、3週間程たったある日(2005年9月〜10月頃)、留学生寮の食堂でひとりの中年女性に出逢いました(そこの食堂は一般にも開放されていたため、地元のお客さんもチラホラいました)。私がひとりで食事をしていると、彼女がニコニコしながら「どこの国から来たの?タイ?シンガポール?」と聞いてきました(当時、なぜか東南アジアからの留学生と、よく間違われました)。私が「日本です」と答えると、一瞬で彼女の笑顔が消え、みるみるうちに厳しい顔つきに変わっていきました。
彼女は突然立ち上がると、ものすごい剣幕でまくし立ててきました。当時の私の中国語力では、彼女が何を言っているのか分からず、ただ茫然とするしかありませんでした。すると彼女は、私が中国語を聞き取れていないと気づいたのか、紙と鉛筆を取り出すと何かを書き始めました。彼女の声があまりに大きかったため、いつの間にか周りに小さな人だかりができていました。
紙には「靖国」、「小泉」、「戦犯」と書かれていました。彼女はその文字を指さしながら、先ほどよりゆっくりと大きな声で「なぜ日本の首相は靖国に参拝したのか」と聞いてきました。私が答えられないでいると、「戦争」や「侵略」と書き足して、「中国は今までどこの国も傷つけたことがない。中国は何も悪くないのに、なぜ日本は中国にひどいことをしたのか」と怒りを滲ませました。
<留学生活に慣れてくると、留学生食堂のおかずをテイクアウトして、自室でゆっくり食べることも>
私は彼女の「中国は、どこの国も傷つけたことがない」という言葉を聞いて、複雑な気持ちになりました。なぜなら中国国内のこととは言え、私が中国に留学に行った当時も、チベット自治区におけるチベット族の人権問題について、中国は国際的に指摘されていたからです。しかし中国国内にいる限り、この女性も含め中国の人々がその情報に触れることは、現実的にはかなり難しいでしょう。
そう考えたとき、ふと「もし私が今中国語を流暢に話せたとしても、この人と分かり合えることはないんだろうな」という思いが頭をよぎりました。例え言葉ができたとしても、分かり合えないことがあるという現実をいきなり突き付けられたように感じ、無性に悲しく空しい気持ちがこみあげて、不覚にも涙がこぼれてしまいました。
自分の言葉で語るために、いつか南京に行ってみよう
突然、目の前の若い日本人留学生が涙を流したのを見て、その女性も我に返ったのか「あなたのことを責めてるわけじゃないのよ」と慌て始めました。彼女がもし、ただ自分の正当性を主張し日本人に非を認めさせたかったのなら、私にそのときいくらでも追い打ちをかけられたと思います。しかし彼女はそうはせず、あれこれと声をかけて、なんとか私をなだめて泣き止ませようとしていました。
そんな彼女を見て私は、「この人はただ、日本人が何を考えているのかを知りたかっただけかもしれない」と感じました。そこでそのとき話せた精一杯の中国語で「私は広島で生まれた。戦争は望んでいない。平和を強く望んでいる」と彼女に伝えました。原爆のことなどはうまく口では説明できなかったので、筆談も交えました。
それを見て彼女は「そうなのね、分かったわ。」と答え私の肩を軽く叩くと、その場を離れていきました。野次馬もその様子を見て、ぞろぞろと立ち去っていきました。
彼女との出来事は、自分が子どもの頃から聞いて来た戦争体験の大部分が「被爆地ヒロシマの記憶」であることに気づかされる大きなきっかけとなりました。「ヒロシマ出身」の日本人として、中国の人に対して「戦争のない平和な世界を望んでいる」と語る以上は、日本の加害の歴史にもきちんと目を向けなければ、どんなに言葉を並べたところで、被害者にとっては薄っぺらい言葉の羅列としか感じれらないでしょう。
「南京大虐殺記念館」が浙江省の隣の江蘇省南京市にあることも、知っていました。「南京大虐殺記念館」はもちろんのこと、日本人として南京市に訪れたとき、自分がどのような気持ちになるのかも知りたくなりました。そこで私は「困ったときに助けが呼べる、道を尋ねたら聞き取れる」レベルの中国語力が身についたら、南京市を訪れてみようと、強く思ったのです。
次回は後編として、「南京旅行 実践編」をお届けします!
もりゆりえ
広島県東広島市出身。尾道市立大学美術学科卒業。高校時代に読んだ漫画「封神演義」をきっかけに中国語学習を開始。大学卒業後中国に渡り、浙江大学に10ヵ月間の語学留学(2005年〜2006年)をする。留学中に、「第二届中国国際動漫画節」に参加。現在はフリーランスの中日漫画翻訳者として活動中。趣味は中国のマンガアプリでマンガを読むこと。
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