【中国企業OLへの道・前篇】19歳で王心凌に憧れ、深センで中国現地採用を決意

中国語実践者

こんにちは、現在中国企業の日本支社で働いているMihobelinです。
今回は中国語を始めたきっかけから、中国での現地採用、そして現在に至るまでをシェアしたいと思います。

はじめに、私が中国語を勉強し始めたきっかけは、2011年に放送された「晴れのち女神が微笑んで」という台湾ドラマです。主人公の王心凌が本当に美人で、「私も中国語を話したい!」という思いから、中国語の勉強を始めました。

あれから早11年。
王心凌への熱はすっかり冷めてしまいましたが、中国語への熱は今も消えていません。

現在は積極的に勉強こそしなくなったものの、仕事に限らず私生活でも中国語を使用する日々を送っています。昔は意識的に中国語の環境を作らないといけなかったのが、今は中国語が生活の一部になった、というのが正しいでしょうか。

ここで勘違いして欲しくないのが、私は決して有名な大学を卒業したわけでもなければ、語学の才能が特別にあったわけでもないということです。

いわゆる“中国語がペラペラな人“からしたら、私の中国語は今もイマイチかもしれません。
しかし、「中国語を使って働く」ことが夢だった22歳。

過去の自分が今の自分を見たら、眩しいくらいに輝いている、と
それだけは自信をもって言えます。

中国で働きたい、でも自信がない大学時代

(大学時代、中国人の友達に教わりながら書いたメモ)

王心凌のように中国語を話せる可愛い女の子になるべく、私は大学1年生の時に第二言語として中国語を選択しました。

中国語を勉強していく上で「中国語って漢字一つ一つに意味があるから、もしかして短い文字数で多くのことを伝えられる画期的な言語なのでは!?」と気づいた頃には、通学時間を全て中国語の勉強に充てるほど中国語に夢中になっていたのを覚えています。

資格でいうと、大学1年生の冬にHSK3級、大学2年生の春に中国語検定4級を取得。
大学2年生の夏には1ヶ月だけ上海に留学し、帰国後にHSK4級と中国語検定3級を取得しました。

しかし、当時は勉強方法として“教科書の内容を書いて覚えてる”しか知らなかったため、
気がつくと、典型的な“読み書きはできるけど、話す聞くは苦手マン”に。

今思うと、聞いて話す練習をしていないので当たり前なのですが、勉強しているのに話せないという劣等感を払拭できないまま、私は大学を卒業することになりました。

「我想成为会说中文的人」

大学卒業後、中国語はあくまでも趣味の一つで、仕事に活かせるはずがないと思っていた私は、中国とは無縁の日本企業に就職。どこか挫折を感じながらも、第一志望の会社だったため、それなりに満足した社会人生活を送っていました。

そんな社会人1年目のことです。
嘘かと思いますが、外国人観光客に英語でホテルまでの道を聞かれるという出来事が発生。
見た目とアクセントから、どうやら中国の方だということがわかりました。

最初は頑張って英語で説明していたものの、いかんせん英語より中国語に時間を割いてきた人間。
全然思うように話せず、それならば、と勇気を振り絞って「你们是中国人吗?」と言ってみることに。

中国人観光客からしてみれば、現地の言葉と英語しか通じないと思っていたのに、異国の地で自分の母国語を話す人に遭遇した!と衝撃だったのかもしれません。

お相手の反応は私の想像をはるかに超え、「你会中文啊!!!」と、
不安そうだった顔が一瞬で満面の笑みに変わったのを今でも鮮明に覚えています。

もちろん中国語だからといってうまく話せるわけでもなく「一直走」「左边」など、単語単語でしたが、こんな拙い中国語でも人の役に立てるのだと、中国語を勉強してきて良かったと初めて心の底から思った出来事でした。

この時期、ちょうど新入社員の課題として「将来どんな人間になりたいか」を発表する機会があり、私は迷うことなく「我想成中文的人(中国語が話せる人になりたい)」というタイトルに思いを込めて発表しました。

中国のこと、中国の人をもっと理解したい。そして、間違いを恐れる自分に打ち勝って、
いつか中国語をビジネスで使えるような人になりたい。」

いつの間にか、私にとって中国語は単なる語学勉強ではなく、なりたい自分になる手となっていました。

アジアのシリコンバレー深センで中国行きを決意

(当時使用していたHSK5級の過去問)

この出来事からすぐに中国へ行ったのかと思いきや、そうではありません。
現実問題、中国の労働ビザを取得するには日本で2年以上の就労経験が必須です。

この間、時間があれば中国人の友達と遊びに行くようにし、HSK5級を取得するレベルにまで達しましたが、どこか海外で仕事するなんて平凡な自分なんかが出来るはずがない、とまだ行動できずにいました。

「最低3年は働かないとダメ」という世間一般論を信じていたこともあり、2年が経ったからといって転職、ましては海外で仕事をするなんて当時の自分には考えられないことでした。

しかし、私が卒業した高校は偶然にも国際高校で、スペイン語と日本語の通訳として両国間を頻繁に行き来する人、フランスに留学し、そのままフリーランスとして現地で仕事する人、オーストラリアでヘアメイクアップアーティストとして活躍する人、さらには1人で世界一周する人など、海外を股にかける同級生が非常に多くいました。

そんな同級生たちに嫉妬する自分にも疲弊してましたし、高校時代は英語学科に進学したものの、英語に挫折。今度は中国語にも挫折したとなったら、劣等感を抱えたまま自分を一生好きになれないと感じていました。

そんな時、アジアのシリコンバレーと呼ばれる深センに友人が留学。
当時は本当に軽い気持ちで大学4年生のゼミで北京に行ったぶりに中国へ行ってみることにしました。

(深センでの1枚)

中国語を勉強し始めてから早6年。
2018年12月、これが転職する前に行った最初の中国1人旅行です。

深セン、そこは日本とは全く違う、携帯1つで何でもでき、どこへでも行ける世界が広がっていました。

(当時instaのストーリーにあげた現地の様子)

自家用車に留まらず、当たり前のように走る電気バスとタクシー。
バスの中ではライブ配信が流れ、図書館の前には自動販売機ならぬ、本の自動貸出機。
顔認証で開閉する大学の門まで存在しました。

さらに、DJIという世界的ドローンメーカーで働きながら、さらなる高みを目指して毎日一生懸命に勉強するAirbnbの貸主。何もかもが新鮮で、世界の最先端技術や人がこの街に集結している気がしました。

あぁ、やっぱり中国で働いてみたい

それが本音であり、当時の最大の夢でした。
私よりも若い人が自分の夢をこんな真剣に追いかけているのに、私は何を躊躇しているのだろうか。人生一度きりなのだから、もっと自分の気持ちに忠実に生きてもいい

まずはやってみよう。やってみてダメだったらその時にまた考えればいい。

あれだけ悩んでいた自分が嘘かのように一瞬で深センという街に魅了され、
私はついに中国への転職を決意しました。(後編に続く

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Mihobelin

92年千葉が生んだ純ジャパ。19歳の時にテレビで偶然見た王心凌が可愛すぎて中国語の勉強を始める。上海での現地採用を経て現在は中国企業の日本支社で奮闘中。趣味は猫を愛でることと断捨離。

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