「你才来了」は何故NG?~漫画『龙珠』のセリフ分析を中心に考える~
こんにちは!中国語漫画翻訳者のもりゆりえです。
先日、仕事で中国語の漫画作品を翻訳していたとき、主人公が到着を心待ちにしていた相手に開口一番「你终于来了,我等你等得花都谢了!(やっと来たな、待ちくたびれたぞ)」と言ったセリフを目にしました。そのときふと思ったのですが、“终于”と同じ「やっと、とうとう」を意味する中国語の副詞には“才”もあるのに、中国語の漫画作品の中で私は一度も「你才来了」というセリフを見たことがありません。
さらに中国語の副詞“才”に関して前から気になっていたことがありました。それは、「①やっと、ようやく」と「②わずかに、~だけ」という、一見正反対の意味を持つ副詞“才”を、中国語ネイティブはどのように使い分けているのか、ということです。
今回はその理由と、副詞“终于”との違いを見つけるため、たまたま家にあった漫画『龙珠(中国語版『ドラゴンボール』)』を使って、セリフで使用されている中国語の副詞“才”の特徴を分析し、気づきををまとめてみることにしました。それでは、一緒に見ていきましょう!
目次
中国語の副詞“才”の用法①:時間を表す
中国語訳文)乌龙的变身只能维持五分钟时间。(五分钟以内可以变身几次。)
之后就得休息一分钟才能再变身。
日本語原文)ウーロンの変身していられる時間は5分間だけなのである。(5分間のうちならなん回でも変身できる)
そして ふたたび変身するには1分間の休みをおかなくてはいけないのだ!!
まずは「時間(例:一分钟)+才」の形です。物事の経過や達成に時間がかかることを表しています。
中国語の副詞“才”の用法②:数量を表す
中国語訳文)这颗是十天前,我在北方山谷里费了很多劲儿才找到的五星球。
日本語原文)こっちのほうは10日ぐらい前に くろうして北の谷でさがしだした五星球でーっす!
「数量(例:很多〇〇)+才」の形で「(〇〇をしたことで)やっと~した」を意味します。上の中国語訳文を、さらに日本語直訳すれば「こっちのほうは10日ぐらい前に すごくくろうしてやっと北の谷でさがしだした五星球でーっす!」となるでしょうか。
しかしこれが「才+特定の要素(時間や数量、要因など/ここでは数量)」のように後ろに要素が置かれると、才は「わずかに、~だけ」という意味になるようです。例えば下の例文です。
中国語)这孩子才六岁,已经认得不少字了。
日本語訳)この子は6歳になったばかりなのに、もうたくさんの漢字を知っている。
「才+年齢」で数量が少ないことを表します。上の文章の“才六岁”は「わずか6歳で」いう意味で使われています。
中国語の副詞“才”の用法③:程度を表す
中国語)他才是个中学生,你不能要求太高。
日本語訳文)彼は(まだ)中学生なんだから、あまり高い要求を求めてはならない。
こちらも「“才”の用法②」でご紹介したように“才”の後ろに特定の要素が置かれ、「才+程度」の形をとっています。才の後ろに置かれた「要素の程度(レベル)」では、条件に満たないことを意味しています。
中国語の副詞“才”の用法④:語気を表す
中国語訳文)我才不要你的短裤!你脖子上挂着的那个!
日本語原文)みたくないわよそんなもん!!!首から さげてるやつよっ!!
語気(強い感情)を表します。上のセリフの“才”に込められているのは「亀仙人(サングラスの老人)のブリーフなんて見たくない」という女性(ブルマ)の強い気持ちですね。
よく見ると彼女の日本語のセリフも倒置法で書かれており(本来なら「そんなもんみたくないわよ!」となるべき順番が「みたくないわよ そんなもん!!!」と前後の文章をひっくり返して表現されている)、彼女の嫌悪感がさらに強調されています。その「殊更に強い嫌悪感」を中国語で表現するために、“才”は欠かせない副詞と言えそうです。
中国語の副詞“才”の用法⑤:関連を表す
中国語訳文)现在学校正在放暑假,我才借机出来的!
日本語原文)学校っていういつもいってるところが夏休みになったからそれ利用してきてるわけ!
厳密に言えば日本語の元のセリフが完全に中国語に訳されている訳ではなく、「学校(っていういつもいってるところ)が夏休みになったからそれ利用してきてるわけ!」と、( )内の日本語が省略された形の中国語になっています。
このセリフの中の“才”は、セリフ前半の「现在学校正在放暑假」という条件が達成されたことで「やっと来られた」ことを表しており、今の状況を心待ちにしていたというニュアンスが感じ取れます。
“你才来了”と言えない理由①:具体的な状況が書かれていない
それでは何故「你终于来了」はセリフで使われ、「你才来了」は使われているところを見たことがないのでしょうか。上記①~⑤の「中国語の副詞“才”の用法の共通点」と、私が仕事中に見た「你终于来了,我等你等得花都谢了!」のセリフが使われていた場面とを比べてみると、“终于”は前後のセリフの有無に関わらず使用できていたのに対し、“才”が使用されるセリフは、「“才”の前後に置かれる要素にある一定の条件や具体的な状況が記されていた」ようです。ひとつひとつ確認してみましょう。
①は「時間」(之后就得休息一分钟才能再变身。)、②は「数量」(我在北方山谷里费了很多劲儿才找到的五星球。/这孩子才六岁,已经认得不少字了。)、③は具体的に描写された「程度」(他才是个中学生,你不能要求太高。=「高い要求を求めるには、中学生の彼には難しい」という状況)、④は「語気」(「我才不要你的短裤!」の“才”が示す要素は発話者(ブルマという女性)が、老人(亀仙人)に言われたセリフ(「啊?我的短裤吗?/え!?わ わしのブリーフか⁉」)に対する嫌悪感)、⑤は「関連」(现在学校正在放暑假,我才借机出来的!=夏休みに入ってやっと来られた)と、それぞれ一定の条件や具体的な状況がセットになって使われていることが分かります。
一方“终于”は“才”と違い、例えば「终于,我们自己的人造卫星上天了(ついに、われわれ自身の人工衛星が上がった)」(『中日辞典』第2版 小学館 P1958より引用)のように単独で文頭に置いて使うこともできます。
同じ「やっと、とうとう」の意味を持つ中国語の副詞“才”と“终于”の違いをまとめると、“才”はある一定の条件や具体的な状況があって初めて使用でき、“终于”は単独で文頭に置いたり、一定の条件や状況説がなくても使えることです。つまり記事冒頭に挙げた、私が仕事中に見たセリフの例のような、「心待ちにしていた相手が到着したシーン」で、開口一番「你终于来了,我等你等得花都谢了!」とは言えても「你才来了,我等你等得花都谢了!(※誤用)」とは言えない、ということのようです。
“你才来了”と言えない理由②:語気助詞“了”の<充足感>と矛盾する
また「你才来了」に関して以前から気になっていたのは、中国語の誤用文法を解説した本ではしばしば、「“才”と“了”は一緒に使えない」と書かれていることです。しかしなぜ“才”と“了”は、一緒には使えないと言われているのでしょうか。その理由が知りたくて、中国語のアスペクト助詞について詳しく解説されている書籍『中国語のアスペクトとモダリティ』(劉 綺紋 大阪大学出版会)を購入し、調べてみることにしました。
その本によると、中国語の助詞“了”の「動態助詞(動詞や形容詞の後に置き、動作や行為の実現)」と「語気助詞(文末や文中に置き、状況の変化や新しい事態の発生を確認したり、文を言い切りにする働きを持つ)」の役割の違い、特にここでは「語気助詞の“了”」について意識する必要があるようです。
以下の例文をご覧ください。
(5)a.?还可以再吃吗?我吃了一个了。
b.?再讲一次好吗?我听你讲过一次了。
(6)a.剩下的你吃,我吃了一个了。
b.不用再讲了,我听你讲过一次了。
『中国語のアスペクトとモダリティ』劉 綺紋 大阪大学出版会 P132より
上記4つの例文は、文末に置かれることの多い語気助詞“了”を解説するために書かれたものです。『中国語のアスペクトとモダリティ』の著者、劉綺紋氏によれば(5)の例文は中国語ネイティブには不自然に聞こえ、(6)の文章は自然に感じるといいます。その理由として、文末に置かれる語気助詞“了”には、「発話者の<充足感>を表出しているのではないかと推察できる」(『中国語のアスペクトとモダリティ』劉 綺紋 大阪大学出版会 P132より 黄色下線は引用者による)から、としています。
それを踏まえて(5)の文章を見てみると、aの文章の前半は「もう1回食べていい?」と聞いているにもかかわらず、後半で「我吃了一个了。(もう十分食べた)」と述べられており、bでは「もう1回話してくれる?」と聞いているにもかかわらず、後半で「我听你讲过一次了。(話を聞くのは、1回でもう十分だ/これ以上聞きたくない)」というニュアンスが出ているということになります。同じ文章の前後で内容が矛盾しているのです。その(5)a、bの後半部分の文章のニュアンスと矛盾しない形に書き換えた文章が(6)のa(訳:余ってるのは食べて。私はもう十分食べたから。)とb(訳:もう話さなくていいよ。十分聞いたから。)であると言います。
<“了”だけでなく、“过”や“在”、“着”など、完了や進行、持続を表す中国語のアスペクト助詞について、詳細に解説されている書籍、『中国語のアスペクトとモダリティ』>
先程“终于”と“才”の違いでもご紹介したとおり、日本語の「やっと来たね」に最も近いニュアンスは、単独で文頭に置いても使える副詞“终于”を使った、「你终于来了!」だと思います。
それでも敢えて“才”を使って「やっと来たね」と言いたいのであれば、具体的な条件や状況を同時に言う必要があるため、例えば「让我等着半个小时,你才来!」などと言う必要があります。
そこで試しに、この文章の末尾に“了”をつけた「让我等着半个小时,你才来了!*誤用」を中国語ネイティブの友人に見てもらったところ、やはり「不自然だ」と言われてしまいました。仮にそれが『中国語のアスペクトとモダリティ』で書かれているように、語気助詞“了”が「<充足感>を表出していると推察される」のであれば、「你才来了」は「来るのは十分だ?(もう来てほしくない?)」と、中国語ネイティブにとっては同じ文章の前後で意味が矛盾した、良く分からない文章になってしまっている可能性があります。
また「让我等着半个小时,你才来!」だと文法的には正しいですが、かなり怒っているニュアンスになるようです。日本語にすれば「ようやく来たのか。人を30分も待たせておいて!」と言う感じでしょうか。
ちなみに先の中国語ネイティブの友人によれば「让我等着半个小时,你才来呀!」と文末の“了”を“呀”に変えれば、「让我等着半个小时,你才来!」より相手に感じさせる怒りは弱めつつ不満のニュアンスを表すことができるということでした。
まとめ:“才”と“了”は「同時に使われにくい傾向」にある
先程「基本的に“才”と“了”は一つの文章で同時に使われない」とご紹介しましたが、必ずしも“才”が使われる文章全てにそれが当てはまるワケではないようです。例えば、以下のセリフをご覧ください。
中国語訳)搞什么鬼!才坐上去就垮了。
日本語原文)しっかりしてよ!つぶれちゃったじゃない‼
上のセリフでは、「程度の少なさ/低さ(③の用法)」を受けて文中に“才”が使われています。中国語訳文のニュアンスをさらに日本語に訳すとすれば「ほんのちょっと座っただけで、つぶれちゃったじゃない‼」という感じでしょうか。日本語原文では直接言及されていない部分(「ほんのちょっと座っただけで」)が“才”を使うことで、しっかり表現されていることが分かります。
それと併せてさらに上記のセリフを見ると、文末に“了”が使われていますね。この“了”は文中の“就”に呼応する形で使われているのです(例:我马上就到了。:「もうすぐ着くよ」と同じ形です)。これも日本語原文には書かれていない部分を敢えて訳せば「ほんのちょっと座っただけで、すぐつぶれちゃったじゃない‼」と言えるでしょう(ちなみに「“才”の用法②」の例文、「这孩子才六岁,已经认得不少字了」も“已经”と“了”が呼応する形で、文末に“了”が置かれています)。
このように見ると「“才”があれば文末に“了”がつかない」と必ずしも言えるわけではなく、あくまで「“才”の性質(物事の達成に時間がかかる、あるいは程度が少ない)と語気助詞“了”の性質(充足感を表す)を同時に使用すると矛盾するケースが多い」とも考えられます。上記のセリフの例のように“才”が使われている文章であっても、その後に置かれた“就”や“已经”に呼応する形で文末に“了”が来ることもありますし、他にも例外的に“才”と“了”が一つの文章に同時に使用されるケースもあるようですので、実際には「“才”と“了”は同時に使われにくい傾向にある」と覚えておけばよいのではないでしょうか。
さらに一歩踏み込んで考えれば、“才”と“了”がひとつの文章で同時に使われている場合、そこにどのような意図があるのかを分析してみることで、より深く中国語のニュアンスを読み取ることも可能だと思います。
今回の記事が中国語の文章や文法について、今までより一歩深く考えるきっかけとなれば幸いです。
もりゆりえ
広島県東広島市出身。尾道市立大学美術学科卒業。高校時代に読んだ漫画「封神演義」をきっかけに中国語学習を開始。大学卒業後中国に渡り、浙江大学に10ヵ月間の語学留学(2005年〜2006年)をする。留学中に、「第二届中国国際動漫画節」に参加。現在はフリーランスの中日漫画翻訳者として活動中。趣味は中国のマンガアプリでマンガを読むこと。
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