日本語話者が勘違いしやすい中国語3選(不好意思,可爱,有些)

中国語会話語法・表現・フレーズ

 こんにちは。中日漫画翻訳者のもりゆりえです。皆さんは、意味を勘違いしたまま中国語を使って、相手に誤解を与えてしまったことはありますか?例えば、「①単語の日本語訳のイメージに影響されて、不適切な場面で使って」しまったり、「②同じ漢字を使っているから意味も同じだと思い込んで使って」いたり、はたまた「③日本語で多用する単語を、中国語でも無意識に使って」しまったり…

 上記の3点は、日本語の意味や同じ漢字文化圏であることに起因するという点で、日本語話者ならではの間違いとも言えます。

 そして私がその間違いに気が付いたのは、中国に留学中のことでした。日本から離れ、中国語漬けの生活を送る中で、外国人のクラスメートや中国人の友人から指摘されて、はじめて気が付いたのです。

 今回は、上記①~③の私の実体験で特に印象深かった3つの中国語「不好意思(すみません)」、「可爱(かわいい)」、「有些(ちょっと)」を、皆さんにご紹介したいと思います。

①「不好意思 (bù hǎoyìsi)/すみません」

 最初は、「①単語の日本語訳のイメージに影響されて、不適切な場面で使ってしまった」ケースです。

「すみません」という日本語は、謝罪の時だけでなく、人に声をかける時にもよく使われますね。以下の話は、留学先の浙江大学で、語学進修生として中国語の授業を受け始めた頃のことです。

 私は、授業中先生に質問するときにまず、第一声に「不好意思,老师。」と言っていました。

 日本語だと、先生に声をかけるときに「すみません、先生」と言って質問することがありますが、私は当初、これと同じ感覚で「不好意思」を使っていたのです。

 授業が始まって二週間ほど経った頃、同じ中級クラスのドイツ人のクラスメートから「なんで君はいつも、質問のたびに先生に謝罪しているのか」と、からかい気味に聞かれました。そのとき初めて「不好意思」の使い方が、誤っていることに気が付いたのです。

 ではこのようなとき、どのように声をかければよかったのでしょうか。先生に質問するときは「老师,请问○○」、「老师,我想问一下。」などを使いましょう。「老师」のところを「先生」や「小姐」など、他の単語に入れ替えれば、街で道を尋ねるときなどにも使えます。

 また「(申し訳ありませんが)教えていただけますか?」のように、恐縮するニュアンスを加えて何か尋ねたいときは「麻烦您(máfan nín)」を最初につけると、より丁寧な表現になります。

<留学先の浙江大学の近所の広場に建っていた、人が2~3人くらい入れる広さの謎の物体>

②「可爱(kě’ài)/かわいい」

 次は②「同じ漢字を使っているから、意味も同じだろうと思い込んでいた」ケースです。

 日本語を勉強中の中国人の友だちと話していた時のことです。彼女がチャーミングで、とてもかわいらしい顔立ちの女性(当時の私と同じ23歳くらい)だったので、「你很可爱。」と言ったところ、苦笑いをされたことがありました。

 不思議に思っていると、その友人が「日本語では美しい女性を“かわいい”と表現することもあるけど、中国語の“可爱”は、幼い子どもやペットなどに使う言葉なんだよ」と教えてくれました。成人女性に使うと、却って失礼になるようです。

では、女性の容姿の美しさを表す中国語にはどんな表現があるかというと、「长得很漂亮 」や「美丽」、「亮丽」などが挙げられます(ちなみに男性の場合は「长得很帅」と言います)。

 もちろん中国でも日本でも、よほど親しくない限り、容姿のことを直接本人に言うことは憚られるでしょう。しかし留学中、中国人の友人同士が互いに冗談で「美女」、「帅哥」と呼び合う光景は、よく見られました。

 ちなみに最近では、日本語の「かわいい」を音訳した「卡哇伊(kǎ wa yī)」という表現も、よく見られます。インターネットや漫画などで使用されており、日本語の「かわいい」の意味に相当する言葉のようです。私自身が仕事で翻訳した漫画作品では、若者同士がふざけあうシーンなどで、しばしば使用されています。

③「有些(yǒuxiē)/ちょっと」

 最後は③「自分が日本語で多用する単語を、中国語でも無意識に使って誤解を与えてしまった」ケースです。こちらは「癖」のようなものなので、自分ではなかなか気づきにくいかもしれません。

 ちなみに私の場合、その口癖は「ちょっと/少し」でした。「ちょっと調子が悪い」「ちょっと、そこまで」のように、日本では日常的に使う人も多いのではないでしょうか。私は旧正月で中国人の友人の田舎の実家にお泊りさせてもらったときに初めて、自分が「“ちょっと”を多用する癖がある」ことに気が付きました。

 その友人のお母さんは、新年に向けてたくさんのごちそうを用意して、私に振舞ってくれたのですが、その中に「カニの塩漬け/腌咸蟹 (yānxiáncài)」というものがありました。カニを殻ごと塩につけたもので、お正月など特別な時にだけ出されるものだということです。

 <1週間ほどの帰省中、友人のお母さんが振舞ってくれた家庭料理の数々>

 その特別な腌咸蟹を、お母さんは遠くから来た私にすすめてくれました。塩気があって美味しかったのですが、しだいにお腹の調子が悪くなり、その晩酷い腹痛に見舞われました。

 見かねた友人に肚子疼吗(おなか痛いの)?」と聞かれた私は「…有些(ちょっとね…)。」と言ってトイレに入ったのですが、痛さのあまり、そのまま出られなくなってしまったのです…。しばらく経つと、友人が突如トイレの扉を開け(!)私に言いました。

「もりちゃん、下次你肚子疼的时候,千万不要说“有些疼”了,就说“非常疼”吧!(「次にお腹が痛くなったら“少し”痛いじゃなくて、“すごく”痛いって言って!」)

 結局その後、年越しムードもそっちのけで、お友だちのお父さんに病院に連れて行ってもらうはめになってしまいました…

 このとき初めて自分が、暑さや寒さ、痛みなどの程度を表す際に、あまり深く考えることなく「有些」を使っていたことに気が付いたのです。そしてこのとき以来、むやみに「有些」は使わず、代わりに「很/非常」を使うようになりました。

 ちなみに、このエピソードを中国語ネイティブの友人に話してみたところ这个可能就是每个国家每个民族每个地区的习俗以及思想上的差别(それは、国や民族、地域での習慣や思想の違いかもね)。」と言われたので、やはり感じ方には個人差が大きいかもしれません。

 私は日本語でも割と遠回しな話し方をしているようなので(これも、東京出身の友人に指摘されて初めて気が付きました。長年、遠回しな言い方をする地域で育ったことも、理由なのかもしれません)、日本語で話すときに無意識に「ちょっと」を多用していた癖が、中国語を話すときにも影響していたのだと思います。

 自分の母語の癖には気が付きにくいものですが、多少なりとも心当たりのある方は、特に中国語で体調を伝える際は、それが本当に「ちょっと」なのか、よく考えてから使ったほうがいいかもしれません。

まとめ

 外国語を話すときや書くときに、誰でも少なからず母語からの影響を受けます。「母語からの影響」と聞くと、発音の違いが強くイメージされるかもしれませんが、今回ご紹介したエピソードからも分かるように、単語のニュアンスにも母語は影響を及ぼすのです。

 私は中国に留学し、中国語で生活するようになって初めて、中国語でのコミュニケーションの齟齬の原因のひとつに、日本語の影響による勘違いがあることに気が付きました。

 当時の体験談は、今でも思い出すと恥ずかしさや、申し訳なさでいっぱいになりますが、そのような経験から間違いなく言えることは、「積極的に中国語でコミュニケーションをとり、自身が熱や痛みを伴う経験を積み重ねることで、徐々に中国語を自分のものにできる」いうことです。

「失败乃成功之母(失敗は成功の母)」。間違いを指摘されたら成長のチャンスだと思って、臆することなく、ぜひ学習した中国語をどんどん使って、コミュニケーションをとってみてください。

アイコン

もりゆりえ

広島県東広島市出身。尾道市立大学美術学科卒業。高校時代に読んだ漫画「封神演義」をきっかけに中国語学習を開始。大学卒業後中国に渡り、浙江大学に10ヵ月間の語学留学(2005年〜2006年)をする。留学中に、「第二届中国国際動漫画節」に参加。現在はフリーランスの中日漫画翻訳者として活動中。趣味は中国のマンガアプリでマンガを読むこと。

もりゆりえさんの他の記事を見る