【中国語実践者】水谷剛さん(フリーランス中日翻訳者)

中国語実践者

    中国語実践者のご紹介

    PaoChaiでは、最短で中国語を“使える”ようになって、実践を楽しむことを大切にしております。当メディアでは、中国語を学習中のみなさまの参考となるよう、中国語を実際に使用している実践者を紹介しています。
    今回は、PaoChai中国語学習メディアで記事も書いていただいる中国語翻訳者の水谷さんに現在のお仕事に至るまでのご経験を書いていただきました

初めまして、水谷と申します。私は中国に7年住んだ経験があり、現在はフリーランスで中日翻訳者をしています。この記事では自己紹介を兼ね、私が翻訳者になるまでの経緯をご紹介します。今後、中国に関係する仕事に就きたいと思っている方にとって何らかの参考になれば幸いです。

(大連・中山広場横のランドマーク、旧横浜正金銀行)

中国との出会い

私が中国へ行くきっかけができたのは、2010年のことでした。大学4年生になる年で、大半の大学生と同じように国内の企業を対象に就職活動をしていましたが、満足のいくような結果が出ていませんでした。

そのとき、友人との雑談の中で、海外就職という手があることを知りました。もちろん、新卒が海外で就職するとなると、職種はコールセンターのような、日本語さえできれば資格や専門能力は問われない仕事ばかりです。

まともなキャリアにならないのではないかという心配はありましたが、海外で働きつつ言語を身に付ければステップアップが図れるだろうという考えから、海外の就職先に目を向けることにしました。

そのとき出会ったのが、中国・大連の企業でした。当時、その企業は新卒を積極的に採用しており、海外就職用の求人サイトでも特集ページが掲載されていました。私の大学の専攻は法律・政治で、第二言語は韓国語。中国語はまったくわからず、興味を持ったこともありませんでしたが、日本語だけでも生活していけるようなサポート体制が紹介されていたため、この会社ならやっていけるだろうと思い、応募しました。電話面接を2回受け、それまでの就職活動での苦戦がウソのように内定をいただくことができました。

特に中国を選んだ理由があるわけではありません。当時の状況で海外の就職先を探したときに、たまたま中国に良い企業があったのです。翌年以降は、中国政府の方針変更もあり、新卒で中国の会社に就職するのは困難になりました。今から振り返ってみると、このタイミングで中国の企業が出会えたのも何かの縁だったのかと思います。

中国移住を決めて決意したこと

大連の会社に就職が決まると、早速中国語のテキストを買い、独学で勉強を始めました。私にはこの時期から決めていた信念がありました。それは、なんとしても中国語をマスターするということです。

たとえ海外に住んでも、日本人ばかりとつるんでまったく語学が上達することなく1年程度で帰国、というのはよくある話です。新卒で資格不要な海外の仕事は、これといったスキルが身に付くことも期待できない仕事。それならばせめて語学は身に付けねばと、3年は腰を据えて住み、しっかりと中国語ができるようになろうと決意していました。

(同じく中山広場横に建つ大連賓館)

大連への移住

2011年3月末、大学を無事に卒業し、大連へと移住しました。東日本大震災が起きた直後で、会社からも安否を案じるメールが来ていましたが、私は愛知県に住んでいたので幸いにも被害がなく、予定通りに渡航できました(この時期に日本を離れてしまったので、悲しいかな、私は震災直後の日本社会の雰囲気をあまり覚えていません)。

大連で就職した会社は、日本にも支社があるIT企業の関連会社で、主な業務はその日本支社向けのサポートでした。

1年目は、午後から出勤すればよい「インターン」という形態で働かせてもらうことができたので、平日は午前中語学学校に通い、午後から出社という生活でした。週末も言語交流会に積極的に参加し、とにかく日本人コミュニティーで固まってしまわないことを意識していました。

大連生活2年目突入

2012年にはインターンから正社員となり、フルタイムで働く生活になりましたが、平日の夜や週末に言語交流会への参加を続けるなど、中国語の学習は欠かさず続けておりました。そして、その年の10月に初めて新HSKを受け、見事6級に一発合格できました。

さて、大連への移住を決めた時の私は「中国語をマスターすること」を目標に掲げていました。新HSK6級合格という一つの区切りを迎えると、今度は中国語を使う仕事に就きたいと思うようになりました。大連の会社は日本向けのサポートが主な業務なので、すべて日本語で完結します。そこで、中国語を使う仕事を次のステージに選んでみたくなったのです。

(HSKを受ける外国の友だちの検討を祈ります)

いよいよ翻訳者に

イメージ的な憧れから台湾に住みたいと思い、台湾の求人サイトに履歴書を載せていたところ、台湾に本社を置く翻訳会社から、上海事務所であれば翻訳者を探しているとの連絡がありました。翻訳会社とは、翻訳を必要とするクライアントと翻訳者をつなぐ仲介役の企業のことです。翻訳会社の中にはフリーランスの翻訳者と契約しつつ、社内翻訳者も雇っているところが多くあります。このときオファーを受けたのは、上海事務所の社内翻訳者のポジションでした。

職種や内容にはこだわらず、とにかく中国語で仕事がしたかったので、まずは先方が用意した翻訳能力のトライアルを受けました。500字程度の中国語の文章を日本語に翻訳するという、実務のトライアルです。すると、それまで翻訳の経験はほとんどなかったにもかかわらず、非常に高い評価をいただきました。その後、面接を経て合格の連絡を受け、3年住んだ大連を後にして2014年2月に上海に移住しました。

(上海・黄浦江の船上より)

これまでを振り返って

私は2018年に上海から日本に帰ってきて、現在はフリーランスとして活動しています。ここまでお読みいただいた皆さまは、私が翻訳者になるまでの経緯をどのように感じられたでしょうか。中国語の学習経験なしで大学法学部卒業後すぐに中国のIT企業に就職、そして翻訳者に、というキャリアは、私がその時々で何の脈絡もない選択をしてきたかのように感じる人もいるかもしれません。

私も常に明確なビジョンを持って生きてきたわけではありませんが、現在から振り返ってみると、独立した点であったように思えるこれまでの人生のステージが明確に線で結ばれたと感じています。

法学部で法律を学んでいた経験は、契約書などの翻訳をするのに役立っています。翻訳者はTradosやmemoQといったソフトウエア(CAT=Computer Assisted Translationツールと呼ばれます)を使う場面が多くありますが、IT企業で恒常的にコンピューターツールを使っていた経験があるため、新たなツールの使用を求められてもさほど苦労することはありませんでした。現在はゲームの翻訳案件をいただくことも非常に多いですが、これには私の趣味が生きています。

これまでの人生で経験したことをすべて生かすことができる可能性があるのが、翻訳の仕事の面白さです。

水谷剛

愛知県一宮市出身。名古屋大学法学部卒業後、中国に渡り、大連で3年、上海で4年間生活する。2018年に日本に帰り、現在はフリーランス中日翻訳者として活動中。主な翻訳分野は法律とゲーム。「ミステリアス・トレジャー」というアナログゲームブランドも展開中。