中国語【良い中日翻訳】とは?オススメ書籍3選<文化理解編>
こんにちは。中国語漫画翻訳者のもりゆりえです。前回の記事では<翻訳技術編>として、「良い中日翻訳」をするために、私が実際に役立つと感じた3種類の書籍をご紹介しました。
今回は後編<文化理解編>として、中国語漫画翻訳者としての仕事を始めてから必要に迫られて購入した3冊の書籍をご紹介したいと思います。中日漫画翻訳者になるまでに60冊以上、中国語学習関連の書籍を持っていながらも、翻訳の仕事を始めて購入した3冊全てが、翻訳者になる前には読もうと思ったことさえなかった分野でした。
『古汉语常用字字典』
<『古汉语常用字字典』 第5版 缩印本 商务印书馆出版>
漫画翻訳の仕事を始めてから最も痛感したのは「古代中国語の勉強の必要性」でした。私は今、中国の歴史ファンタジーの連載作品を翻訳しているのですが、仙人のキャラクターのセリフや道教の呪文などに、古い中国語がよく使われています。
最初はインターネットで調べたり、中国語ネイティブの友人に尋ねたりしながらなんとか訳していたのですが、あまりにも頻繁に古代中国語を使ったセリフが登場することから『古汉语常用字字典』を購入しました。
『古汉语常用字字典』は、中国語の古典でよく使用される漢字が掲載されており、例文にも古文が使われています。
例えば「亦 yì」という文字の解説について、『现代汉语规范词典』と『古汉语常用字字典』を見比べてみましょう。両方とも「また、~もまた(=也:yě)」という副詞としての用法が記載されていますが、『古汉语常用字字典』には『现代汉语规范词典』には記されていない、以下の用法が紹介されています。
亦 yì
「❷语气词。表示语气的减弱。可择为“不过”、“只是”。」
「❸语气词。表示语气的加强。」
古汉语常用字字典 缩印本 第5版 p.485
訳:❸ 語気詞。語気を弱める。「不过(~にすぎない)」、「只是(~だけだ)」とも翻訳可能。
❸ 語気詞。語気を強める。
作品では漢文を引用したセリフも多く出てきますので、現代中国語の辞書だけでは、意味が分からない場合があります。そのようなときには『古汉语常用字字典』で、ひとつひとつ意味を確認した上で翻訳しなければなりません。
『古代汉语常识』
<『古代汉语常识』 王力 著 中華書局>
また、古代中国語と現代中国語で意味が変化した文字もあり、特に「中国語を学習している日本語話者」にとっては、ややこしい部分がありますので注意が必要です。
『古代汉语常识』には、古代中国の暦や時間、昔の生活習慣等が紹介されている他、言語についても以下のような記載があります。
走
今天的“走”指行路,古代的“走”指跑,如“扁鹊望桓侯而还走”(《韩非子・喻老・扁鹊见蔡桓公》)。注意:即使到了后代,“走”字有时也只指跑,不指行路,如“走马看花”。现在广东人说“走”,也还是跑的意思。(p.73)
訳:今日の「走:zǒu」は「道を行く」を意味するが、古代の「走」は「走る」を意味する。例:「扁鵲(べんじゃく:古代中国の名医)を見遣り、桓侯(かんこう:春秋時代の蔡の君主)は踵を返し走り去った」(『韓非子・喻老・扁鵲見蔡桓侯』)。注意:後代でも時として「走」という字は「道を行く」ではなく「走る」を指す。例:「走馬看花(zoǔ mǎ kàn huā/そうばかんか:上辺しか見ず、理解が浅いこと)」。現代の広東語の「走」も「走る」を意味する。
上記のように、古代中国語と現代日本語で同じ意味になる漢字としては、他にも「去(qù):古代中国語で“去る”の意味(現代中国語では“离开”)」や「把(bǎ):古代中国語で“把(にぎ)る”の意味(現代中国語では“拿”)」等があります。
漫画のセリフを翻訳していて、現代中国語の意味で訳すと違和感がある場合、古代中国語の意味で使用されている(部分的に古典の言い回しをしている)可能性もありますので、違和感を覚えたらすぐに『古汉语常用字字典』や『古代汉语常识』で意味を確認するようにしています。
『「死体」が語る中国文化』
<『「死体」が語る中国文化』 樋泉克夫 新潮社>
中国語の漫画のセリフを翻訳していて、しばしば不思議に思うことがありました。それは「死」に関する生々しい表現を目にすることが少なくないことです。少しグロテスクになってしまいますが、以下は私が実際に漫画翻訳の仕事で目にしたセリフです。
➀「给我把他按在地上摩擦!干得他爹妈都认不清他!!」
「アイツを(地面に押し)叩き潰せ!誰にも(=実の両親にも我が子だと)判別できないくらいに徹底的にな!!」
②「我真不甘心,一想到那家伙对她做过的事情,我就恨不得将此人千刀万剐。」
「本当に悔しい。アイツが彼女にしたことを思い出すと八つ裂きにして(=刀で肉をそぎ落として)やりたくなるわ」
※➀②の( )内は原文直訳。実際の訳文は( )外部分のみ。
➀のセリフは、バトル漫画(古代中華ファンタジー)の主人公がボスキャラ(皇帝)を目の前にして言ったセリフ、②は少女漫画(ラブストーリー)の主人公の女の子が言ったセリフです。初めて見たときは、あまりの過激さに驚きました。両作品とも特段残酷なシーンがないだけに、余計にセリフの生々しさが際立って感じられたからです。
他の作品にも同様に、日本語話者から見るとかなりグロテスクな表現(命を奪うだけではなく、どのように死に至らしめるか、遺体をどのように扱うか)が少なからず見られたことを不思議に思い、『「死体」が語る中国文化』という書籍を購入し調べてみることにしました。
すると、その書籍に書かれた以下の記述を読んだことで、中国人の「身体感覚」ひいては「遺体」の捉え方や「死生観」が垣間見えたように感じられました。
風水思想の原典とされ、三世紀から四世紀に生きた郭璞が書いたといわれる『葬経』は、我々の骨は父親の精、肉体は母親の血からできている、と説く。
精神やら霊性というものが精=骨、血=肉体の間を貫くからこそ生命が宿る。死によって精神や霊性は飛び散り、血や肉は腐りはてる。だが骨だけは残る。骨には魂が宿る。骨とは父親、父親の父親、さらにその父親——とどのつまりは父方の遥かに遠い祖先から一貫して受け継がれた精が宿った部位である。(後略)(p.59)
現に生きている彼らは、我が体内の骨を通じて遥か遠い往古の始祖から永遠の未来に生きる子孫へと繋がっているという思いを無意識のうちに持ち合わせているに違いない。(後略)(p.60)
日本語でも恨んでいる人物に対して、残酷な言葉で恨みを表現することはありますが、それは特定の個人に対する思いや行動に留まることが多いかと思います。しかし中国の作品では、個人への恨みから物理的な攻撃に至った場合でも、時にその攻撃は、攻撃された個人の祖先や子孫を含めた一族に対する恨みや辱めの意味が込められていると、読み取ることもできるのではないでしょうか。
このような中国人の「身体感覚」を知っていれば、例えば「不着坟墓(bù zháo fén mù):異郷で死に、祖先の墓に入れないこと」という表現を目にしたとき、それがどれだけ中国人にとって耐えがたいものであるかに思いを馳せることができるように思います。
では、上記①②のような残酷な表現を原文通り正確に訳すと、キャラクターの恨みの深さを表せるかといえば、そうとは言えません。例えその表現が恨みの深さに繋がっていたとしても、字義通り訳すと日本語話者の読者にとっては、グロテスクさだけが際立ちキャラクターに感情移入しにくくなると思うからです。
そのようなとき私の場合、前後のセリフの「強さ」を調整することで、キャラクターが持つ恨みや悔しさを表現するようにしています(例えば恨みの対象を呼ぶときに「アイツ」ではなく「あの野郎」、「お前」ではなく「貴様」や「おのれ」と強い表現で訳す、等)。もちろん原文から意味が乖離してはいけませんが、個別のセリフをひとつひとつ丁寧に訳すだけでは、表現し切れないニュアンスもあります。そのような場合は特定のセリフだけにキャラクターの心理描写を頼るのではなく、作品全体のセリフの訳文を通して、キャラクターの心情を表現できるように工夫しています。
「良い中日翻訳」のために必要なこと
今回は「良い中日翻訳」をするために、古典や文化的背景を知る重要性をお伝えしました。中国の漫画作品を目にすると、日本の作品ではあまり目にすることのないセリフや行動、好まれるキャラクターの性格等、日本の作品とは様々な違いがあるように感じます。その違和感の正体を探ってみることで、より作品を深く味わうことができるのではないでしょうか。
良い中日翻訳を目指すならば、新旧の中国語と日本語の両言語に関する知識、テクニック、文化的な知識に興味を持ち、学び続ける姿勢が必要です。ついつい中国語の知識を得ることに重点を置きがちですが、アウトプット言語である日本語の表現も非常に重要です。
特に漫画作品などの「ローカライズ」をする場合、中国語の古典を日本語に訳すには日本語の古典や古代日本に関する知識がないとうまく訳せない場面も出てきます。例えば、中国語の古典をモチーフにした言葉遊び(ダジャレ)などは、日本語の古語の言葉遊びで訳さないと前後で辻褄が合わないこともあるからです。
現在私は、日本の古語辞書と古代の日本文化にまつわる書籍を読み進めているところです。古代の日本文化を学ぶと、古代中国との文化的、言語的繋がりを感じることも多く、非常に楽しく得る物も大きいと感じています。
今回の記事が、中国語を勉強中の方、中国語翻訳者を目指している方の参考になれば幸いです。
もりゆりえ
広島県東広島市出身。尾道市立大学美術学科卒業。高校時代に読んだ漫画「封神演義」をきっかけに中国語学習を開始。大学卒業後中国に渡り、浙江大学に10ヵ月間の語学留学(2005年〜2006年)をする。留学中に、「第二届中国国際動漫画節」に参加。現在はフリーランスの中日漫画翻訳者として活動中。趣味は中国のマンガアプリでマンガを読むこと。
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