<中国映画考察 前編>『北京遇上西雅图』に見る、日本の無戸籍問題との共通点

 こんにちは!中国語漫画翻訳者のもりゆりえです。この記事をご覧の方の中には、中国語の勉強を兼ねて中国の映画作品に触れている方や、これから見てみたいと思っている方もいらっしゃるかと思います。

 本日は私が実際に鑑賞したことのある作品の内、「中国の社会問題についても学べるオススメ中国映画」2作品を、前後編に分けて皆さんにご紹介したいと思います。今回は前編として「『北京遇上西雅图』に見る、日本の無戸籍問題との共通点」について、皆さんと一緒に考えていけたらと思います。

これよりネタバレも含みますので、作品をご自分でまず鑑賞したいという方は、作品鑑賞後に以下の記事をお読みください。

※画像は<《北京遇上西雅图》剧情引发热门话题_手机新浪网 (sina.cn)>より

『北京遇上西雅图』作品紹介とあらすじ

<アメリカ映画『めぐり逢えたら』でも登場する、NYのエンパイアステートビル>

『北京遇上西雅图』は、薛晓路監督の作品で2013年に中国大陸で公開されました。「拝金女」の主人公、文佳佳とフランクのラブコメディです。

 物語は文佳佳が妊婦であることを隠し、アメリカに入国するところから始まります。文佳佳の挙動をいぶかる入国審査官に彼女は「アメリカ映画の『めぐり逢えたら』が大好きだからシアトルに来たの」とつたない英語で話し、なんとか半年の入国を許可されました。しかし彼女の本当の目的はアメリカでの出産だったのです。

 空港で迎えの車を待つ文佳佳。しかし待てど暮せど車は来ません。約束の時間より30分遅れて到着した、運転手のフランクに激怒しながらも、ふたりは目的地の「月子中心(産後ケアセンター)」へ向かいました。しかし到着した先で彼女らが目にしたのは、警察官に連行されていく妊婦たちの姿だったのです。

 混乱する文佳佳に、フランクは小声でこう伝えました。

这个月子中心都违法的,可能被人举报了。

(訳:ここの産後ケアセンターは全て違法だ。誰かに通報されたのかもしれない。)

 文佳佳が妊婦であることを隠して入国したのは、違法行為であることを認識していたからなのです。ではなぜ彼女は、わざわざ法を犯してまでアメリカで出産しようとしているのでしょうか。

中国:婚外子を巡る法の不備による「黑户」の発生

 ある夜、バーでの飲酒をフランクに軽く諫められた文佳佳は、フランクに以下のようなセリフを放ちました。

我没有工作,他又不肯离婚。

我没有办法去开证明,我开不出证明 我就没有办法去开个准生证,没有办法去医院,去做产检

就算孩子生下来了,我也没有办法给他户口。

(訳:私には仕事もない、彼は離婚もしてくれない。

婚姻証明書を出せなければ、出産準備証明書(※1)も貰えず、妊婦健診にも行けない。

子どもが生まれても、私はその子に戸籍を与えることもできない)

 このセリフから、中国では結婚せず出産した場合、妊婦は安全な出産もできない上、生まれてきた子どもに戸籍が与えられない(=黑户:無戸籍者)という問題があることが分かります。主人公文佳佳がわざわざアメリカでの出産を選んだ理由が、ここで明らかとなります。

※1:出産を希望する前に、戸籍地の地方政府の「卫生计划生育委员会办公室(訳:衛生計画出産委員会事務室)」に提出する書類。

日本:離婚を巡る法の不備による無戸籍児/者の発生

 

 実は日本でも、中国と同様に「無戸籍児/者」の問題が近年取り上げられています。無戸籍となる背景には様々な要因がありますが、その中の大きなもののひとつに、日本の民法で定められていた「再婚禁止期間」があると言われています。

 この民法は、妊娠や出産の時期によって父親を推定する「嫡出推定」の制度として、明治31年に制定されました。DNA鑑定を用いれば親子関係が明白となる現代においても、この「離婚から300日以内に生まれた子は、前の夫と推定する」という民法が見直されずにいたため、様々な事情で子どもを出産しても出生届を出さない女性が現れました(例:事実と違うにも関わらず、民法上自分の子が前夫の子となってしまう、夫のDVから逃れるため現在地を明らかにしたくない、など)。

 こうしてみると、結婚や離婚、出産にまつわる法の不備により無戸籍となることで、行政に繋がれず必要な支援が受けられないという問題が、中国のみならず日本にも存在していることが分かります。

中国:2016年「准生证制度」から「生育登记制度」へ

 では『北京遇上西雅图』が公開された2013年から現在まで、中国がこの「黑户」の問題を放置していたかというと、そうではありません。

 急速に進む少子高齢化に危機感を抱いた中国政府は、1979年から導入してきた「一孩政策(一人っ子政策)」を2015年に廃止しました。それに伴い、出産前に届け出が必要だった「准生证制度(出産準備証明書制度)」も2016年1月5日を以て廃止され、「生育登记制度(出生証明届出制度)」へ移行したのです。

 一人っ子政策導入時は、ふたりめの子を出産すると高額な罰金(社会扶養費)を払わなければなりませんでした。地方や親の収入によってその額は違ったようですが、概ね夫婦の年収の3~8倍という話が多いようです。そのため、高額な罰金を払えない親がふたりめの子の「准生证」を出さなかったり、男児を強く望む親の元に生まれた第一子の女児の「准生证」を出さなかったりと、結果として「黑户」となる場合も少なくなかったようです。「黑户」のリスクは、『北京遇上西雅图』の文佳佳のケースに描かれていたような、婚姻関係のない男女の間に生まれた子だけではなく、婚姻関係にある男女の間に生まれた子にも存在していたことになります(参照URL:中国取消“准生证”审批制 放宽二孩登记政策 – BBC News 中文)。

 そのような事情もあってか、基本的には生育登记服务の提出に婚姻証明書の提出が必要とされているにも関わらず、四川省を中心に「婚姻関係を結ばない男女間の子」の出生届も受理しようという動きが最近見られ始めており、賛否両論様々な議論を呼んでいるようです(参照URL:中国四川生育登记取消结婚前提为何引发热议 – BBC News 中文)。

日本:2016年「嫡出推定」の民法の完全撤廃が決定

 日本においても近年、「無戸籍児/者」が行政サービスにアクセスできないという問題がメディアで取り上げられたり、当事者からの声が徐々に上がるようになったことなどから、その原因の一端となっていた「嫡出推定」の民法の見直しが行われました。

 2016年(平成28年)の改正民法で女性の離婚禁止期間が100日に短縮され、2024年4月からはこの期間を完全撤廃することが、2023年4月の閣議で決定しています(参考URL:女性の“離婚から100日間再婚禁止”規定を廃止へ 来年4月から | NHK)。

中国と日本:今も残る無戸籍児/者への支援の難しさ

 

 急速に進む少子高齢化の対策の結果として、婚外子を巡る法整備にも着手し、黑户問題を解決しようとしている中国と、時代にそぐわない「嫡出推定」の民法を撤廃したことで無戸籍/児者問題の解決を目指した日本。経緯や目的の違いはあれ、両国の無戸籍児/者が婚姻を巡る法の不備から生まれていること、そしてそれを解決するために、両国ともほぼ同じタイミングで法整備に着手したことは、不思議な巡り合わせにも感じます。

 しかし当然ながら、法を整備すればすぐにこの無戸籍児/者問題が解決するわけではありません。両国の法は共に、これから無戸籍児/者を生まないようにするための法であって、現在すでに無戸籍状態に置かれた人々を直接救済する法律ではないからです。

 戸籍がないということは、国に無戸籍者の実数を把握する術がないことを意味します。一説によれば中国の黑户の人数は1300万人(総人口の1%前後)、日本の無戸籍児者は2022年の法務省の調査によれば825人と言われていますが、民間の支援団体の見立てでは1万人を超えるとの声もあり、両国ともその実数は公式見解よりもさらに多いとも言われています。今いる無戸籍児/者の実数を把握し、いかに行政の支援につなげるかは、依然中日両国に残されている社会的課題と言えるでしょう。

中国の「黑户」参考URL:中国、無戸籍の解消表明/一人っ子政策の弊害、不満緩和か | 全国ニュース | 四国新聞社 (shikoku-np.co.jp)

日本の「無戸籍児者」参考URL①:「無戸籍児」を知っていますか 民法「嫡出推定」見直しの背景とは:朝日新聞デジタル (asahi.com)

日本の「無戸籍児者」参考URL②:<社説>無戸籍者対策 民法のさらなる改正を:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)

まとめ

 いかがでしたか。今回は『北京遇上西雅图』で中心に扱われている「中国の婚姻を巡る法の不備と黑户」の過去と現状について、日本との共通点も交えてご紹介しました。この作品には他にも、中国の「同性婚」「医療水準の地域差」、「経済格差」など日本と共通する社会的な課題について多く描写されています。中国の様々な社会的課題について考えさせてくれる作品ですが、涙あり笑いありと、ラブコメディとしても楽しめる要素が盛沢山です。機会がありましたら、ぜひ皆さんも鑑賞してみてください。

 次回の後編では、同じく薛晓路監督作品である『海洋天堂』に描かれた、「日本の成人障害者支援問題の共通点」についてご紹介します!

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もりゆりえ

広島県東広島市出身。尾道市立大学美術学科卒業。高校時代に読んだ漫画「封神演義」をきっかけに中国語学習を開始。大学卒業後中国に渡り、浙江大学に10ヵ月間の語学留学(2005年〜2006年)をする。留学中に、「第二届中国国際動漫画節」に参加。現在はフリーランスの中日漫画翻訳者として活動中。趣味は中国のマンガアプリでマンガを読むこと。

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