中国で「北朝鮮」は通じない?留学で共に学んだ「朝鮮人」同学との思い出

中国留学

 こんにちは!中国語漫画翻訳者のもりゆりえです。2005年9月~2006年7月の約1年間、私は漢語進修生として中国語を勉強していました。その中でも特に印象深かったのは、北朝鮮から来たクラスメーとの思い出です。

 今回は私が半年間共に中国語を学んだ、北朝鮮から来たクラスメートとのエピソードを通して、気づいたことや感じたことなどを、皆さんにご紹介します。

「北朝鮮」という呼び方は、中国では通じない?

 まず私が一番驚いたのは、中国では「北朝鮮」という名称が使われていないということです。実際私がうっかり一度、中国で「北朝鲜(běi cháo xiǎn/※誤用)」と言ったとき、現地の中国の人には通じませんでした(実際には「“北朝鮮”って何?」と言って笑われました)。

 朝鮮半島の北緯38度にある「軍事境界線」で南北に分けられた北部地域の正式名称は「朝鮮民主主義人民共和国」とされています。しかし日本ではこの地域を「北朝鮮」と呼んでおり、ニュースや新聞でも「北朝鮮」という名称が使用されています。なぜ日本では、正式名称とされる「朝鮮民主主義人民共和国」ではなく、「北朝鮮」という名称が使用されているのでしょうか。

 日本の外務省のホームページを見ると、「北朝鮮」は国名ではなく「地域名」として掲載されています。日本は現在北朝鮮と国交を結んでいないため、北朝鮮の正式名称とされる「朝鮮民主主義人民共和国」を国名として扱わず、あくまで「朝鮮半島北部地域」を指す呼称として「北朝鮮」を使用しているものと考えられます。

 一方中国外交部のホームページでは、「朝鮮民主主義人民共和国」が国名として掲載され、一般的には「朝鲜(cháo xiǎn)」という名称が使用されています。

「国によって、国家や地域の捉え方や名称が変わることがある」というのは、留学生として中国で暮らしていた当時の私には、新鮮な驚きでした。

(参考URL:地域別インデックス(アジア)|外務省 (mofa.go.jp)

(参考URL:国家概况_中华人民共和国外交部 (mfa.gov.cn)

最初のクラスで“同学”になった「朝鮮人」留学生

 私が中国に語学留学をした、2005年9月~2006年7月の内、前半の約5か月間「中級1班」でクラスメートとなったのが、北朝鮮から来たふたりの留学生です。ふたりとも(おそらく)50代の男性で、ひとりは小柄ではっきりとした物言いをする、サッカー好きなA氏、もうひとりは眼鏡をかけた口数の少ない、穏やかなB氏でした。

 中級1班には、20人程の留学生が在籍していましたが、いつも授業に訪れるメンバーは10~15人程でしかおらず、出席者の大半は、大学を休学して留学に来た若い韓国人のクラスメートで占められていました。

 韓国の人々は、年長者を非常に敬う文化があると言われますが、それは若い韓国人クラスメートも同様でした。彼らは「北朝鮮」(韓国の人からすれば「*北韓(북한)」)から来た親子程も年の離れた男性のクラスメートに対し、いつも韓国語で軽く会釈と挨拶をするだけで、気軽に話しかけるようなことはありませんでした。傍から見ると緊張しているようにも見え、なんとなくぎこちなく、どう接していいか分からない雰囲気にも感じられました。

 またA氏とB氏はいつも基本的にふたりで行動していたため、開講しばらくは私も彼らと直接話す機会があまりなく、一クラスメートとして一緒に中国語の授業を受けるだけの関係でした。

*北韓(북한):韓国で一般的に使用されている、「韓半島北部地域」の名称。

韓国外務省HPの「北東アジアの国家/地域」のエリアに、北朝鮮の記載は全くされていない>

(参考URL:Northeast Asia | Ministry of Foreign Affairs, Republic of Korea (mofa.go.kr)

「朝鮮人」留学生B氏と、宿題を教えあうように

 私は中国に留学中、大抵早めに教室に行って、宿題の見直しなどをしていました。特に「阅读(文章読解)」の授業の老师は若くて可愛らしい顔立ちの女性でしたが、そんな見た目とは裏腹に(?)、授業中はなかなか厳しい方でした。宿題をやっていなかったり、前回の授業で教わった内容を間違えると、例え生徒の方が明らかに自分より年上でも容赦なく雷を落とす方だったので(朝鮮人留学生A氏も一度、こっぴどく叱られていました…)、特にその授業の前には必死になって宿題の見直しや、授業の予習復習をしていました。

 開講して2週間程経った頃でしょうか。いつも通り「阅读」の授業の教室で宿題の見直しをしていると、珍しくB氏がひとり教室に入ってきました。そして私が教科書を開いているのを見ると「你做作业了吗(宿題やってきた)?」と言って近づいて来ておもむろにノートを開き、「この問はこれで合ってる?」と尋ねて来たのです。そこでその日はふたりで答え合わせをしてから授業に臨むことになりました。

 それからなんとなく、私とB氏は授業の前に早めに教室に来て、一緒に宿題の答え合わせをしたり、分からない箇所を互いに教えあうようになりました。

「朝鮮人」留学生と韓国人留学生との関係の変化

<浙江大学学生寮。2005年9月の「第36回IBAFワールドカップ」の際は、寮のあちこちから「大韓民国(대한민국/テーハミング)コール」が鳴り響いた>

 B氏と私が休憩時間に勉強を教えあうようになって数日後、いつものようにふたりで宿題の答え合わせをしていると、韓国人留学生のクラスメートたちに「ふたりで何してるの?」と話しかけられました。その後は段々と、休憩時間に韓国人留学生のクラスメートも交えて、宿題や疑問点を聞きあうようになりました。そのようなこともあってか、最初なんとなくぎこちなく見えた韓国人クラスメートと、「朝鮮人」留学生のA氏B氏との間にも会話や笑顔が徐々に増え、少しずつ打ち解けているように感じられました。

 以前は互いに韓国語でひと言ふた言しか話さなかった彼らも、開講して1か月経つ頃には、韓国、朝鮮、日本その他様々な国の留学生と共に、中国語で世間話ができるような雰囲気になっていました。

 そんなある日、クラスメートの皆で雑談をしていると、ひとりの韓国人留学生の男の子(C君)が中国語で、「実はお祖母ちゃんが“朝鮮”にいるんだ」と、ポロっと口に出しました。彼は韓国の大学を休学して来た明るい性格の男の子で、クラスのムードメーカー的存在でしたが、A氏やB氏と話す際は、いつも身の置き所がないように見えました。しかし彼のその発言を聞いて初めて、C君がそのような態度になってしまったのも、「北韓」から来たA氏、B氏に対して複雑な気持ちがあったからかもしれないと、思うようになりました。

「北朝鮮/北韓」のクラスメートと別れるということ

 その約半年後の2006年1月、中級1班での最後の授業が終わった教室で、韓国人留学生と朝鮮人留学生が一緒になって集合写真を撮っているのを見ました。この日の授業を最後に韓国に帰国する人もいて、別れを惜しむ人の姿もありました。そんな彼らを見て、互いに同じ朝鮮半島に故郷がありながら、気軽に自国で会うことがかなわず他国(ここでは中国)でようやく触れ合え、交流を深められるという現実に、日本人ながら複雑な気持ちを抱いたのを、よく覚えています。

<前期を終え冬休みに入った留学生寮の廊下。帰国した留学生の部屋の掃除のため、ベッドが出されている。休み中に旅行に行く人も多く、夜遅くまで賑やかだった寮も、人気がなく静まり返っていた>

 その後2006年7月、全ての授業を終え帰国を5日後に控えていた私が校舎の廊下にいるとき、B氏に「ゆーり(※私のこと)、把雨伞借给我好吗(傘貸してくれない)?」と笑顔で話しかけられました(急な雨に降られて困っているときに、偶然私を見かけたようです)。後期で別のクラスになった彼と久々に話をする中で、間もなく私が帰国することを伝えるとB氏は「もうここには帰って来ないの?」と尋ねてきました。

 日本に帰国すれば、国交のない北朝鮮の人間であるB氏と、日本人の私が会うことは容易ではありません。そのときになってようやく私も、中国にいるときはあまり意識してこなかった「日本人として越えられない壁」があることを感じました。それと同時に「B氏と会えるのはこれが最後になる」という実感も湧いてきました。

 私が中国に帰って来ないことを伝えると、彼は「実は君と同じ年頃の娘がいるんだよ」と言い、「你是好姑娘,谢谢」と言って、最後にぎゅっと握手をしてくれました。そのときのB氏の優しい笑顔は、中国留学から20年近く経った今でも、私の心に強く焼き付いています。

まとめ

 中国留学に行く前に日本で聞いていた「北朝鮮」に関わるニュースは、拉致問題や独裁政権下で苦しむ人々の様子などがほとんどだったこともあり、「北朝鮮」に対し少し怖いイメージを抱いていました。最初にA氏やB氏と会ったときも、なんとなく身構えてしまっていたのも事実です。しかし中国留学を終えて日本で北朝鮮に関するニュースを聞くたびに、「BさんやAさんは大丈夫かな、元気で過ごしているのかな」と思うようになりました。

 中国留学で得たのは、中国語の会話力やリスニング力などの中国語レベルの向上はもちろんですが、留学生活で出会った外国の友人との交流を通じて感じたことや考えたことの方が、私にとっては今なお深い印象として思い出されます。外国のニュースを聞くたびにその国出身の友人の顔が思い出され、ニュースの向こう側にいる人々や暮らしにまで思いを馳せることができるようになりました。

 また今回の記事でご紹介した「北朝鮮」の例のように、自分が異国の地に身を置くことで「国家」や「地域」に対する捉え方がガラリと変化するという経験も、様々な視点から物事をとらえることの重要性を実感できた、非常に得難い出来事だったように思います。

 今回の記事が、皆さんに「国家とは何か」と考えるきっかけや、視点を少し変えて考えるきっかけになれれば、幸いです。

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もりゆりえ

広島県東広島市出身。尾道市立大学美術学科卒業。高校時代に読んだ漫画「封神演義」をきっかけに中国語学習を開始。大学卒業後中国に渡り、浙江大学に10ヵ月間の語学留学(2005年〜2006年)をする。留学中に、「第二届中国国際動漫画節」に参加。現在はフリーランスの中日漫画翻訳者として活動中。趣味は中国のマンガアプリでマンガを読むこと。

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