大ヒット中国本土映画「好東西」に上野千鶴子が出てきた!?4回の出圈(chū quān)を考察

中国文化・社会・歴史

 いま(2024年12月)、中国で話題になっているのは、ラブコメ・フェミニズム映画「好東西(Herstory)」!2024年11月に上映された本作が口コミ効果により2週連続興行週間ランキング1位を獲得!興行収入は(2024/12/16時点で)6億元(約120億円)に迫るほど大人気。

参考:映画「好東西(Herstory)」weibo公式アカウント

気になるのは、この映画のセリフに上野千鶴子の名前が登場しているということ。

それは一体どのような背景があるのか?本記事では中国での上野ブームから解説していく。

**

みなさま、「出圈(chū quān)」という中国語をご存知だろうか?「出圈(chū quān)」とは、中国のインターネット用語で、特定の分野やコミュニティから抜け出して、より広い注目や影響を得ることを意味する。

この表現は、芸能人、作品、話題などが、もともとの特定のファン層を超えて、多くの人々に認知されるようになった状況を指す。

フェミニズム研究者である上野千鶴子はこれまで、4回の「出圏」があった。今回はこの影響の広がりを簡単に考察してみたい。

上野千鶴子の中国語本の出版リスト一覧

 フェミニズム研究者である上野千鶴子における4回の「出圏」を振り返る前に、これまでに上野氏の著作が中国で翻訳・紹介された詳細をまとめてみよう(三人以上の共同著作は除外)。以下、中国での出版年、中国語題名、日本語版原題、日本での初版年の順序になっている。

  1. 1991年 高龄化社会:40岁开始探讨老年(『老いる準備』1990年)
  2. 2004年 近代家庭的形成和终结(『近代家族の成立と終焉』1994年)*2022年 増訂版あり
  3. 2011年 一个人的老后(『おひとりさまの老後』2007年)
  4. 2012年 一个人的老后2:男人版(『男おひとりさま道』2009年)
  5. 2014年 用自己喜欢的方式慢慢变老(『ひとりの午後に』2010年)
  6. 2015年 厌女:日本的女性嫌恶(『女ぎらい ニッポンのミソジニー』2010年)*2023年 増訂版あり
  7. 2020年 父权制与资本主义(『家父長制と資本制——―マルクス主义フェミニズムの地平』1990年)【豆瓣図書TOP250の195位】
  8. 2021年 从零开始的女性主义(田房永子と共著)(『上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!』2020年)【豆瓣図書TOP250の205位】
  9. 2021年 一个人最后的旅程(『おひとりさまの最期』2015年)
  10. 2022年 始于极限:女性主义往复书简(鈴木凉美と共著)(『往復書簡 限界から始まる』2021年)【豆瓣図書TOP250の75位】
  11. 2022年 女生怎样活?:上野老师,教教我!(『女の子はどう生きるか――教えて、上野先生!』2021年)
  12. 2022年 女性的思想(『「おんな」の思想』2013年)
  13. 2022年 为了活下去的思想(『生き延びるための思想』2006年)
  14. 2022年 在熟悉的家中向世界道别(『在宅ひとり死のススメ』2021年)
  15. 2022年 一个人可以在家告别人生吗?(小笠原文雄と共著)(『上野千鶴子が聞く 小笠原先生、ひとりで家で死ねますか?』2013年)
  16. 2023年 快乐上等:女性怎样自在地活(湯山玲子と共著)(『快楽上等! 3.11以降を生きる』2012年)
  17. 2023年 身为女性的选择(信田小夜子と共著)(『結婚帝国』2011年)
  18. 2023年 终于看见了自己:女性主义的觉醒与未来(樋口惠子と共著)(『しがらみを捨ててこれからを楽しむ 人生のやめどき』2020年)
  19. 2023年 上野千鹤子的私房谈话:像女性主义者那样解决问题(『身の下相談にお答えします』2013年)
  20. 2023年 女性主义40年(『不惑のフェミニズム』2011年)
  21. 2023年 女性生存战争(『女たちのサバイバル作戦』2013年)
  22. 2023年 结婚由我(『非婚ですが、それが何か!?結婚リスク時代を生きる』2015年)
  23. 2023年 无薪主妇(『最後の講義 完全版 上野千鶴子 これからの時代を生きるあなたへ安心して弱者になれる社会をつくりたい』2022年)
  24. 2023年 上野千鹤子的午后时光:自由、幸福、底气(『ひとりの午後に』2010年)
  25. 2024年 我准备好了,变老也没关系(『老いる準備―介護することされること』2005年)
  26. 2024年 从消费社会到格差社会(三浦展と共著)(『消費社会から格差社会へ——中流団塊と下流ジュニアの未来』2007年)
  27. 2024年 一个女人的逆袭(小岛里美と共著)(『おひとりさまの逆襲―「物わかりのよい老人」になんかならない』2023年)
  28. 2024年 从提问到输出(『情報生産者になる』2018年)

図書市場における絶対的な上野人気

    特に上野千鹤子の『始于极限』は、2022年に豆瓣(Douban)で年間図書ランキング総合1位を獲得している。また、『为了活下去的思想』は2023年の豆瓣年間図書総合6位、社会・ノンフィクション部門で1位に輝いた。同年度の『快乐上等』も社会・ノンフィクション部門で8位にランクインするなど、上野氏の著作は中国で高い評価を受けている。

2022年の豆瓣年間図書ランキング

2023年の豆瓣年間図書ランキング

    大雑把に言えば、出版業界から見ると、『始于极限』の成功がきっかけとなり、多くの出版社が上野千鶴子氏の著作に注目し、新旧を問わず一気に翻訳・紹介したと考えられる。

中国での上野ブーム:4回の「出圏」

さて、ここから4回の出圏という本題に入ろう。

① 上野千鶴子の演説から始まる中国での人気上昇

2019年、上野千鶴子は東京大学の入学式で演説を行った。その演説は社会の不公平や、努力と報酬の関係を述べており、特に性別の平等問題に関心を持っていた。演説は日本だけでなく中国のSNSにおいても大いにバズり、上野の名前が広く知られることになった。これが、上野千鶴子の中国における一回目の「出圏」といえよう。

② ベストセラーとなった『始于极限』

2022年、新経典文化は上野の『始于极限』を出版した。この本は対話形式を採用したため、伝わりやすい鋭敏な見解が多く含まれており、特に対話の相手である鈴木涼美が元セックスワーカーという特殊な背景を持つ人物だったためか、中国でベストセラーとなり話題になった。これが、上野千鶴子の中国における二回目の「出圏」だと考えられる。

③ 北京大学出身の女性インフルエンサーとの配信動画が大炎上へ

2023年初春、ある出版社が上野の代表作の一つ『厭女』を重版した。その宣伝の一環として、北京大学を卒業したインフルエンサーである既婚女性の蔡全嘻嘻を話し相手に招き、フェミニズムについて対話を行った。しかし、蔡全嘻嘻の発言からフェミニズムについて浅薄な理解に見せてしまい、上野千鶴子のハッシュタグはWeiboのトレンド入りしたほど、SNSで大炎上を巻き起こした事態となった。この事件は上野千鶴子の中国における三回目の「出圏」を実現したのである。

④ 「上野千鶴子を何冊読んだの?」

こうして、三度の「出圏」を経た上野は、中国でのフェミニズムを語るキーパーソンとしての地位を確立した。上野千鶴子の人気度は最終的に、今年11月に上映され、豆瓣9.1点の好評を受けたフェミニズム映画『好東西』の中で主人子の夫役の口から「上野千鶴子を何冊読んだの?」というセリフとして露わになったのである。

中国のフェミニズム研究者はなぜ「出圏」しないのか

 ここでは、なぜ上野千鶴子のように「出圏」し、著作がベストセラーとなり、映画のセリフまでに使われる中国本土のフェミニズム研究者はいないのか、という素朴な疑問が問われるだろう。

 中国では、1995年に北京で開催された国連第 4 回世界女性会議をきっかけに、その開催前後の年には、フェミニズム運動は大いに発展を遂げた。しかしその後、30年以上にわたって、世界のフェミニズム運動は革命のレベルにおいては、停滞期となってしまった。

 この数年の西洋での「Me Too」運動の影響で、中国においても若い女性のジェンダーに関する意識が高まっている。一方、学術的な議論は、主に母親の役割や家庭での分業といった要素に限られている。ジェンダー問題がすでに学術的なレベルを超えて、社会的議題としてなりつつある。その結果、大雑把にいうジェンダー問題は中国でタブー化されているLGBTQ+の問題と同様に、「境外勢力(外国勢力)」として考えられるケースが生じているため、ラディカルな学術的な書籍の出版が制限されている現状である。

 このような状況の打開策として、出版社は他国の翻訳書を介入してジェンダー問題を議論する場を提供する方法を選択せざるを得なかった。その際、学術的な理論性と鋭い文筆、そして高い伝播力を兼ね備えた上野千鶴子の著作が自然と出版界の注目を集めるようになった。上述のいくつかの「出圏」事件を経て、現在の中国ではフェミニズムについて語る際に必ずと言っていいほど上野千鶴子の名が挙がるようになったのである。映画『好東西』の中で「上野千鶴子を何冊読んだの?」というセリフが登場したのが、以上の深い背景があったのである。

おわりに

 筆者の知る限り、上野の著作はすでに大部分が中国語に翻訳・出版されている。今後、中国ではここ三、四年間のように、短期間で同一海外フェミニズム研究者の著作の翻訳書が出版されることはないであろう。中国のフェミニズム運動は今後どのように発展していくのだろうか。

また、それに関する翻訳書ではどのような新たな顔ぶれが登場するのだろうか(例えば、2022年に出版された日本人作家である伊藤比呂美の『閉経記』(原作は2013年出版)は好評を博した一例である)。これからも中国のフェミニズム運動の動向と、日本的な要素との連動に注目していきたい。

アイコン

クリッカ

中国安徽省出身の30代。一橋大学大学院修了。近代中国の文学・芸術を専攻。日中の芸能全般に詳しい。趣味は美術館巡り、サイクリングなど。

クリッカさんの他の記事を見る