こんにちは。ウェイライです。今回は、中国語が大嫌いな学生だった私が、ゼロから実質8ヶ月でHSK5級に合格するまでのお話をしていきたいと思います。
楽したくて選んだ第二外国語(中国語)
私と中国語の出会いは大学1年生の時です。
選んだ理由は「他の言語は文字から学ばないといけないけど、中国語は漢字だからなんとなく意味は分かる」とネットに書いてあったから。
1年間授業を受けましたが、とにかく嫌いでした。
- 「母音が何十個もあるとか多過ぎ」
- 「拼音とかいうやつはローマ字表記なのに英語とは読み方違うし、勝手に省略される」
- 「日本語にある漢字でも発音は全く異なるものがほとんど」
極めつけは「声調が4つある」とか。
中国語の悪口はいくらでも出てきます(笑)
中国語を選択した決め手であった「漢字だからなんとなく意味は分かる」というのも、
「勉強しなくても日本人なら分かるだろう」ということは先生も分かるので、そんな問題は出ませんでした。
週一回の授業が苦痛で仕方なかったです(泣)
単位はかろうじて取れましたが、勿論成績は悪く、最終的に覚えたのは「你好」「謝謝」「我是〜」のみ・・・。
「もう二度とやるもんか!!!」と心に誓い、
自分の名前さえ言えないまま私の中国語人生は幕を閉じ・・・る予定でした。
フィンランドで生の中国語に触れる
月日は流れ大学3年生になる直前。
2年間バイトに明け暮れ、せっかくの大学生活に何もしていないと気付いた私。
このままじゃいけないと、高校生の頃からなんとなく「英語話せるようになりたいな」と思っていた自分の理想に向かって行動を起こすことに決めました。
英語を勉強しても使う機会がなかったので、まずはモチベーションが大事だと判断しフィンランドでボランティアに参加し友達を作ることにしました。
大学入試のセンター試験レベルの英語は高校生の頃に勉強しましたが、もう半分以上忘れていてスピーキングに関しては「Yes」「No」「Thank you」しか言えない状態でした。
結果は勿論撃沈。
自己紹介から急にゲームが始まり流れを止めてしまい、ボランティアの仕事中も指示が聞き取れずかなり落ち込みました。
そんな時に助けてくれたのが台湾人3人組。
1人は台湾大学という名門の出身でかなり日本語が上手で、もう1人は少し話せるので英語と日本語を混ぜて話してくれました。
3人が中国語で会話する姿を見て「1年生の時ちゃんと勉強してたら良かった!」と後悔。
色んな国からの参加者は母語と英語が喋れるのは当たり前。第二外国語も話せる人が多かったです。
フィンランドの小学校に行った時は小学生でも英語がペラペラでした。
「帰ったら英語も中国語も勉強するんだ!」と言うと全員から「英語が出来なさすぎるから先に英語をやれ」と言われつつ帰国。
英語学習は基礎があったので続けられたのですが、中国語は何度挑戦しても挫折。独学は難しかったです。
宮古島で中国語に再会
(沖縄県宮古島の海)
言語学習については、その後の大学生活は英語ばかりで終わり、就職。
ある程度使えるようになってきた英語を活かして、英語圏にワーホリに行きたいな〜と思いながらアメリカのドラマを観たり、趣味のK -POP聴いたりして過ごしていました。
しかし、英語圏にワーホリに行く前に、まずは同じくずっと住みたかった(英語圏よりは近場の)沖縄で短期のリゾートバイトをしようと思い、当時勤めていた旅行会社を退職し沖縄の離島・宮古島に行きました。そこで数ヶ月働いて英語圏に行く予定でした。
働き始めると中国語圏のお客様が多く英語で接客できる人が限られるため逆に感謝されることもありました。英語が上手な方が多かったですが、中には英語が苦手な方もいらっしゃり、私が中国語ができればな・・・と再び思い始めました。
このまま英語圏ワーホリに行けばもう中国語は勉強しない気がしました。
また、中国語を少しでも話せた方が英語圏ワーホリがもっと豊かになると思い、中国語留学を決めました。
台湾の京大(成功大学)に留学してみた
(台南名物牛肉湯)
フィンランドで出会った友達にも会いたかったので中国語留学は台湾一択。
たくさんの美食があり、旅行じゃ食べきれない程たくさん種類があるという台南3ヶ月語学留学することにしました。
留学期間にたくさん美味しいものにも出会いたかったので(笑)
場所は台湾の京大と言われている成功大学。
安心してください。華語中心(大学内の中国語を学ぶ専門の学校)は外国人がお金を払えば誰でも入れます。
留学に行く前に何度か参考書をめくったりしましたが、全く頭に入らず数字も曖昧にしか言えないまま台湾に行きました。
テストを受け、勿論一番下のAクラスに振り分けられると思いきや何故かBクラス。
最初のテストと学習履歴で学校側がクラスを振り分け、お試し授業を受け、土日を挟んで月曜日に再度本当にそのクラスのレベルに合っているかテストがありました。
範囲は1つ下のクラスが学習するところまで。もしそのテストで不合格だったり自分で下のクラスに行きたいと思ったら申請できるシステムでした。
不安はあったものの、日本人だから漢字は分かるし、せっかくならレベルの高いクラスで勉強したい!と思い、週末2日間猛勉強。無事合格し、Bクラスで授業を受けることができました。
(台南の有名な林百貨店)
留学中は授業の他に毎日3〜5時間程勉強しました。土日は勉強する日としない日の差が激しかったので、平均すれば、3ヶ月の留学期間中は毎日3.5時間くらい中国語を勉強していたことになります。
Bクラスは一番下のクラスではないので、皆ある程度話すことが出来ました。
私はクラスで一番出来ない学生で授業中はいつも英語か筆談でしか答えることが出来ませんでしたが、クラスの雰囲気が良く先生も友達も優しく教えてくれるので全くへこたれませんでした。以前、フィンランドで意思疎通が取れなさ過ぎて落ち込んでるので、それに比べたら最悪英語と漢字は分かるし日本人もいるし、全然マシでした(笑)
1ヶ月くらい経つと、耳が中国語に慣れてきて授業中も話すことができるようになりました。
とにかく宿題や授業で習ったことは全部覚えて買い物や台湾人の言語交換友達が言っていたことをメモして調べました。また、リラックスタイムにも中国語のYouTubeを観たり曲を聞いて過ごしました。
ルームメイトの許可を取り、部屋中の物の単語を覚えるために付箋に物の名前と拼音を書いて貼りました(笑)
その甲斐もあり最後のテストでは1問以外全て正解で、今回の語学留学のプログラムを修了することが出来ました。合格点に達しないと修了できず、再受講する人もいます。
実質8ヶ月でHSK5級に合格
2018年、帰国後一番近い日程(約1ヶ月後)のHSKを申し込みました。
私が台湾の語学留学で修了したBクラスのレベルはHSKでいえば3級程度ですが、3級のテキストを見ると簡単過ぎたので4級の試験を受けることにしました。
簡体字に慣れず、試験1週間前から1日1〜2時間程度公式テキストをめくって眺めることしかできませんでしたが、無事合格。
そして前回の試験から約3ヶ月後にHSK5級を受けました。
こちらも座学は試験1週間前から毎日2時間程度公式テキストの練習問題を解いたり、分からない単語を暗記したりしました。
この期間は中国語話者の同僚のたくさんいる場所で働いており日々中国語を話したり、繁体字でも簡体字でもメッセージでやりとりしていました。また、台湾のドラマ「我可能不會愛你」にハマってよく観ていました。留学中よりも、実践で身につけた期間だった気がします。
4級までは合格・不合格が出ますが、5級からはTOEICのように点数のみが出ます。
私は206点でした。
調べてみたところ180点以上で5級の能力を有するとして良いようなので合格ということにします。
このように、大学で1年間週1回授業を受けていても、留学前にはほぼ忘れていた私ですが、留学中の総学習時間は400時間程度、帰国後は100時間程度で約8ヶ月後には、HSKでは上級に分類される5級レベルまで中国語能力を上げることが出来ました。
他の人に聞くと、かなり早いペースだと言われます。早く語学検定などの試験をクリアすることが良いのかは賛否両論あるかとは思いますが、短期間に成果を出せた理由を考えてみると、無駄になると痛いくらいの金額を出したことで後戻りできなくなったことだと思います。
私の場合は3ヶ月の留学で飛行機代や生活費込みで30〜40万程度かかりました。
自分の実感としての中国語レベルはまだまだ
私は仕事に使うなどの理由はなく、ただちょっと人生を豊かにしたいという気持ちで勉強していたので
その後試験を受けてはいませんが、その人の努力次第ではもっと短期間でもっと上のレベルにいくことも可能だと思います。
相変わらず簡体字は苦手ですが(笑)SNSで台湾人の友達が投稿している内容も楽しむことが出来ます。
映画を中国語字幕なしで観るのは難しく、留学から帰国後に結婚した中国人の夫と喧嘩する時は理解できないことがたくさんあり、まだまだだなと思います。
人生を少し豊かにするという目的レベルには達しているけれど、もっと分かることが増えれば、もっと豊かになれます。今回私の中国語学習を振り返ってみて、また勉強を再開したいと思いました。
私の体験談が少しでも参考になれば嬉しいです。
ウェイライ
山口県出身。20歳の夏休みに英語力ゼロでフィンランドのボランティアに参加し、語学を好きになる。2018年、中国語ゼロから台湾南部にある成功大学へ語学留学。趣味は美食を探すこと。現在は、インフラ系の会社で働きながら、中国人の夫と暮らしている。
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